甲状腺癌

October 18, 2012

グリグリに気がついて1年経ちました。

なかなかブログ更新できないまま、10月5日に2回目のアイソトープ治療を済ませてきました。

しんどいのはしんどかったんですが、かといって日常生活は普通に続けていました。(バタバタと騒がしいワタイの日常は、平日日刊「アムステルダムだより」でお伝えしています。お暇つぶし読み物としてどうぞw。) 

隔離のために入院していた2泊3日以外、ずっとフルタイム以上で働いていたので、ホルモンの枯渇、ヨード制限、放射性物質投与と、振り返ると結構なダメージが体にあったのだなあと考えるようになるのは、そういう日々が続いた後、毎日徐々に復活しつつあるのが体感できる今になってからです。本当に、アホほど頑丈で暢気に出来ている私やなあと(ヒトゴトのように)思いますです。


昨年の今日、焼きサンマのお弁当を食べて、喉にグリグリがあるのに気付きました。その時は、理由が分からないために、不審で不安でありましたが、ジェットコースターに乗ったような一連の治療、そのついでの結婚、もしものときの対策についてのオッサンとの話し合いなど、いろいろなことがあってのあっという間の一年でした。

甲状腺乳頭癌になったこと、甲状腺とその機能を失くしたは不幸なことですが、早期発見できたこと、医療関係者、研究者のみなさんとホルモン剤のお陰で普通の生活が継続できることは、本当の幸福なことであり、やはり私はラッキーだと思うというのが、グリグリ発見から1年経った私の感想です。


それを書きたかった、2012年10月18日の私です。


unga

新緑と、運河に浮かぶハウスボート。


追伸: 闘病中でも、闘病中でない人も、はたまた妊娠&授乳中のお友達でも、頑張ってる人を応援したいときは、おみまい便三角ビーズクッションか、イルカの抱き枕のプレゼントをお勧めします。しっかり休養することと、アナタが応援してくれている気持ちが、何よりの「栄養」になりますから!


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September 28, 2012

グリグリ摘出手術<その2>

8月初頭に行った定期健診の際、ちょっとしんどいときがあるからと、毎朝服用している Euthyrox という商品名の錠剤のホルモン含有量を200 μg (ミクログラム。マイクログラム、ミリグラムとも呼称。 mcg とも表記) から175 μg に減らしてもらいました。足りないよりも多めの方がいいだろうということで、服用開始直後は、血液検査の結果も鑑みて、十分と思われる量で設定されていた模様。もちろん、人体は複雑怪奇かつ微妙なものなので、ホルモンなど、微量でも大きな影響を及ぼすものは、これからずっと様子を見ながら調整していかねばならぬのですが、「フッ、過ぎたるが及ばざるが如し、というのを知らぬな、おヌシ」と、思いながらそんなこと知るはずもないオランダ人医師の顔を見ていました。お医者さんは、私がそんなことを考えていたとは、まったく想像してなかったでしょうね。

たった25 μgの違いでも、ナノ単位の極薄鎖帷子(くさりかたびら)を脱いだようになんとなく体が楽になった感じがしていたところ、アイソトープ治療から半年後の検査に備えて、8月24日からホルモン剤の使用を止めています。本日でまる5週間。体の中で「ホルモン足りてないよ~」と訴えてるのがわかります。また、経緯の方は、なっかなか進まないこのブログがそこまで進んだときに書きますが、月曜日に採った血液検査の結果、まだ甲状腺組織が体内に見られるということで、2回目のアイソトープ治療が決定しました。月曜日からヨード制限食を開始し、金曜日の朝に入院。A(病院名)スイートと呼んでいる隔離部屋でゆっくりしてきます。なんか、隔離されるの楽しみにしてないか?という疑惑もあるものの、それが済んだらずっと楽になる~と考えると、あと1週間ガンバロ~と思えるようになります。

それに、普段よりも肉体的にしんどいとはいえ、これまで5週間の仕事量は減らさなくてもやってこられた、というか、普段よりも荷造り等で大変な時期を乗り越えられたし、もし、何かの手違いや旅先などでホルモン剤を紛失した場合、エネルギーレベルが低くはなるけれど、一日二日で突然バタッと倒れたりするわけでもないのだという体験ができたのはよいことだと思っています。

今度は、まったく甲状腺ホルモンが体内生成されなくなるだろうから、この5週間目のしんどさが、2週間目、3週間目に来るのかわかりませんが、それでも1週間ぐらいはなんとか持つだろうと知っておけば、ホルモン剤がないっ!どうしよう。。。ビクビクってこともないですからね。甲状腺ホルモンは大事だけれど、酸素や水よりも重要度は少し低いということで、同病者の方、ご安心ください。


。。。前回のブログの続きに戻ります。。。

最初の手術のあと、まだ甲状腺癌腫瘍を摘出した患者という実感が湧かないまま、ジジとバ~バに顔を見せる以外の来日目的であった、神戸や関東で何人かの人に逢ったり、オランダからチューリップの球根を送ることで支援しようと活動している、岩手県陸前高田市小友町にある、気仙大工左官伝承館を訪問したりました。

お忍び訪問のつもりが、たまたま箱根振興会会長でもある館長さんがいらしてご挨拶が出来たり、職員の K さんが作る素朴で懐かしいながらも絶品のラーメンをご馳走になったり、公共の交通機関がズタズタになっている現地で、 Naomi さんの中学時代の同級生のべんちゃん(仮称。笑)とお姉さんの車で移動のお手伝いをしてもらったりしました。ここでも、いつかは逢いたいと思っていた方たちとゴタイメ~ン!が実現できて、本当に嬉しかったです。掘りごたつを囲んで S 兄とお話しが出来て、迷惑になるかもしれないかもと躊躇していた岩手入りして、本当に良かったと思いました。そして、 T 夫人が、「田舎なので何もないですけど」と、お茶菓子から地元名産のリンゴ、やさしい味わいのお煮しめなど、たくさん用意してくださっていたのがとても心に沁みました。おいしくて、嬉しかったです。大きな愛をありがとうございました。

また、「世界中のみなさんから支援、応援してもらって、なんてお礼を言ったらいいのかわかんねけど、本当にありがたく思ってやってきました。これから、まだまだすることたくさんあるし、どうやったらいいのか途方にくれてるのも事実だけど、こうやって来てくれること、忘れないでいてくれることが一番嬉しいんです」と、被災地の方の気持ちを代表して(一生懸命標準語になるように努力して。笑)語ってくれた S 兄の言葉、このブログをお読みの読者の方にお伝えします。

来年も、陸前高田市小友町にチューリップを送る手配をしました。今年、どれぐらいの数の球根をオランダから送れるのかまだ不明ですが、西の果てから応援してますよ~。小さな個人支援ではありますが、「小友オランダ園」についてご興味のある方は、サイトをご覧くださいませ。また、今年のチューリップの写真をお持ちの方がいらしたら、ぜひ私のほうまでメールで送付してくださいますよう、お願い申し上げます。


さて、ただでさえ限られている滞在時間を、甲状腺癌の話に割くのももったいないし、傷が隠れるように、いつも首になんか巻いていたし、それに、やったら大きな声で大騒ぎして喋る、手術したばかりとは思えないオバハンの登場(爆)。甲状腺グリグリを摘出したばっかりということを、自分でも忘れていたので、あとでびっくりさせてしまった方々ごめんなさい。後でびっくりさせるのが申し訳ないというよりも、自分が楽しむほうを優先させてしまいました~。


日本滞在中も、メールやスカイプを駆使して、オッサンが苦手な事務仕事を時差を超えて手伝っていましたが、やはりまるまる1ヶ月のブランクは大きかった。1月7日の土曜日にオランダに戻って、9日月曜日からすぐに職場復帰。滞っていた平常業務+年末の〆業務にかかりました。(オランダの税務年度は1月~12月なんです)

お尻に火が付かないと動き出さないとか、時間がない方が仕事が捗るというのも、真理であります。自宅では、とりあえず、勢いのあるうちに片付けないと出しっぱなしになりかねないスーツケースを、日本から帰宅した日と次の日で空にして、洗濯連投。次なる荒療治である20日の全摘手術前に、気になることを片付けておきたいと思えば、とりあえず出来ることから手をつけるフットワークも軽くなりましたね。


基本的には、1回目の腫瘍部分摘出手術の準備と、長いから二つに分けた手術前手術後の経緯とほぼ同じですが、今回は切開および摘出部分が大きくなるので、日帰りは無理。12 cm ぐらい切り開いて、経過によって2~3日の入院ということでした。


1月11日水曜日に、入院する病院の麻酔科の PPO (ペーペーオー)に行って、調査票に記入。診察室では、「あら、ついこの最近手術やったのね。その後、劇的に変化したことはなかったですね」みたいな、軽いノリでの手術の事前調査、確認をしました。血圧や心拍数もチェック~。


1月13日金曜日には、これまで診察してくれていた七人の小人のおじいさん内科医ではなく、これから長期に渡って私の担当医となるらしい、内分泌の専門内科医との初めてのアポに行きました。この先生、ちょっとロシアのプーチン氏系の顔立ち+アヒル口してるので、ひそかにプーチンダックと命名。なんかイマイチタイプではないというか。。。これまで熱い兄貴分というか、熱心な部活動顧問の中学校の先生的信頼を寄せていた外科医との差が激しく、ちょっと落胆(笑)。

プーチンダックにしても、別に悪気はないわけで、「オランダ語?英語の方が良い?」と、最初オズオズと聞いてきたので、向こうは向こうで、アジア系患者にどのように対応したらいいのか面倒臭いと思っていた戸惑っていたのだろうと考えることにしました。ヒョローっと背が高い(2 m 弱)から、それで頼りなげに見えるし、なんせその上にプーチン系の小顔がのっかっているから、あまり親しみを覚えない外見というのも、彼のせいではないわけですし。。。って、大きなお世話な私。

七人の小人の先生と外科医の説明、それにインターネットで仕入れた日本語での情報のお陰で、ほとんど知っていることの確認のような診察でしたが、それでも抱いていた疑問、「この程度の腫瘍で全摘する必要があるのか」という、私個人のケースについて専門家に質問できる機会が得られたのはありがたいことです。

パポピとメールでのやりとりしていて、そんな初期の小さい腫瘍だけなのに、どうして全摘なのだろうという話になりました。どこかで読んだデータでは、甲状腺が1/5残っていれば、薬を服用せずに済むのこと。そしたらそっちの方がいいじゃないですかねえ。プーチンダックの回答は、「場所が場所(ど真ん中)だし、アメリカではこういったケースは全摘の方法で治療するので、オランダもそれに倣っている」とのこと。再発する可能性(30~40%)のリスクを考えると、全摘した方が、後の不安も少ないからベターだとも。なんかスッキリしない回答というか、もしかしたら臨床例が多い日本では、できるだけ残す方向で治療が行われるのではないのだろうかと思いましたが、こればっかりは担当医の判断に任せるしかありません。


手術前日の1月19日木曜日に、入院する病棟にて事前説明。 たまたま私と誕生日が一緒らしい Co-arts (医師助手)が担当。私が中学生ぐらいの誕生日に生まれた、そのスリナム系と思われる助手君が、小部屋に入って向かい合って座ってから、最初に言ったのが、「僕は先入観を持たないようにしようと、わざとあなたのカルテを読んでないんです。これまでの病歴とか経緯とかを説明してください」と簡単に言うので、私、プチ激怒(笑)。

「あのねー、これまでの経緯って、オランダではたいていこの病院にかかっているし、ホームドクターからの資料も必ず残っているはずです。それに、20年前の盲腸から何か何まで、今までのことは何回も説明して、全部コンピューターとその紙バサミの中に入っています。私は今回、甲状腺の治療のためにきているわけで、あやふやに覚えている病歴を、適当に思い出して話す意味が全くわからないので、それを話すつもりはないです。それは先入観でもなんでもなく、下準備ではないですか」と突っ込んでしまいました。(わー、自分でも怖いオバチャンになってます。笑)

それで引っ込んだ所を見ると、どうも彼が事前準備をしていなかったのか、何の準備もしてなかった所に、予期せずに彼が私の相手をさせられたの二つに一つの模様。でも、それは向こうの都合であって、オフィスを閉めて来ているうえに、ずいぶん待たされてる私には関係のない話。なので、いちいち「そこに書いてあるように」とかいう枕詞などをつけながら、甲状腺治療に関する経緯の説明だけを簡単にしました。(ここではイケズなオバチャン化!爆)

ここでも、いつ退院できるのかといった、思いついた簡単な疑問を訪問前にまとめておいたので、そのリストを見ながら、助手君に質問攻め。一番知りたかった「アイソトープ治療はいつになるのか」、「別な病院になるとは聞いているが、どこに問い合わせたらよいのか」というのにも、「それは僕には答えられないから、看護師に調べて回答するように指示を出しておく」という、病棟内で偉いんだか偉くないんだかよく分からない立場の助手君を象徴するような答えを一杯もらって、彼との面談は終わり。

それにしても、プーチンダックにしろ、この助手君にしろ、説得力のないお医者さんっていうのは損ですね。まあ、ちょっとオドオドしたタイプであれば、その小心さが失敗しないようにしようという心がけに繋がるとかいう風になればいいのですけれど。。。


今度は、打って変わって年齢は助手君と同じか若いぐらいなのに、経験がものを言うのか、余裕のある看護婦のおねえちゃんが、入院する部屋を見せてくれました。4人部屋の入ってすぐ右側のベッドで、退屈ゆえに、新入りに興味深々なおじいさんとおばあさんの患者さん一人ずつに挨拶しました。もう一人寝ている人がいましたが、翌朝退院したようで、おじいさんだったことしか覚えていません。

自分が寝食する予定の病室の様子を見せてくれるというこのサービス、私はとっても良いなと思いました。私はそこまでではなかったけど、手術前には不安は付き物。自分に与えられるスペース、ファシリティなどを事前に見ることで、「知らないゆえの恐れ」というのはなくなりますもん。


最後に看護婦さんから、「手術は明日だけど、手術室のスケジュールによっては、もしかしたら、今晩から入院してもらうかもしれません。今日の午後、電話で知らせるのでいいですか」と言われましたが、これって日本ではあり得る話なんでしょうか?結局、16時ごろに電話があり、手術当日、早朝にチェックイン。私よりも付いてきたオッサンの方が落ち着かないのは、私のことを心配してというよりも、病院という場所のせいに思われました。患者よりも緊張してどうする~!?

手術自体は順調に進み、前回と同じく、病室からオッサンに電話 → ピピポ姉経由の日本語メールで、パポピたちに手術終了の連絡を入れてもらいました。(今回も、全粒粉の薄切りパン2枚を、1枚はチーズ、もう一枚はハチミツで食べました。) そして、仕事を終えたオッサンが、様子を見にやってきましたが、ただでさえ病院や怪我病気が苦手なので、「傷口見たいぃ?」と言うと、激しく首を横に振っておりました。


夜中でも人がバタバタ、機械がピーピー、廊下の照明が煌々と薄いカーテン越しに目を刺すのでゆっくりできない上に、手術直後は数時間おきに血圧や首の太さを計りにくるので、おちおち寝られません。そんな中でも、とても前向きでたくましい白人のおじいさんとおばあさんと同室だったのが、とても印象的でした。第二次世界大戦中にインドネシアにいた人、もしくは面識のある家族、友人知人を失ったり、ひどい目に会った人が多い世代です。それが好ましいとか許される行為かどうかは別にして、私という日本人の個人に対して、彼らの個人としての怒りや恨みをぶちまけてもおかしくないと私は思います。でも、今まで私が会ったオランダ人高齢者は、心の中でどう思っているかは別にしても、「それはそれ」として、私という個人に対しては、あからさまな差別や侮辱や報復の意など、ネガティブな言動を示す人はいませんでした。

そのおじいさんとおばあさんについては、どうしても書かずにはいられずに、しばらく前に「アムステルダムだより」の方でも書きました。日本人オランダ人、男オンナ、年齢に関係なく、他の人に対していつでも人として真正面に立って生きていきたいと思っている私に、「うーん、凄い。ああいう風に年をとりたい」と思わせる人たち。その出会いだけでも、入院した甲斐があったと思いました。

結局2泊3日の滞在で、日曜日の午後には、オッサンのお迎えで家に戻りました。


1-IMG_0524

通勤途上で撮影した、とあるドア。深い意味はないです。


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August 17, 2012

4cmの切れ目入りで来日

前回の投稿から時間が経ってしまいました。12年一緒に住んでるオッサンと、まったく新鮮味のない新婚旅行に行ってきました+その前後のバタバタで、こちらのブログ更新まで手が回らなかったのが実情です。その旅日記は、「は~るばる来たぜ北極圏!てなもんや新婚旅行記」として別ブログ「アムステルダムだより」に書いておりますので、ご興味のある方は、お時間のあるときにご覧ください(。。。というのも、長いんです。スミマセン、長文体質で)。


第一回目の手術(そのグリグリがどんなものかの確認するための、腫瘍部分の摘出)が無事に終わり、自宅に戻ってじっとしようと心がけておりました。同じ手術をしたパポピに、首に負担をかけないように生活するのがめっちゃ大変やったと聞かされていたので、8時間ごとに服用するように言われた錠剤を飲み、薬のせいで喉が渇いて目が覚める以外には、拍子抜けするぐらいの、「ムチウチのために動きが不自然な人」ぐらいの状態で過ごしました。

冬期休暇を早めていたので、自宅でほぼ完了していた日本行きの準備をしたり、普段よりも手をかけて晩ご飯の用意をしたり、暇に任せて窓拭きまでしてしまいました。。。ああ、じっとしていられない貧乏性(笑)。もしかしたら薬も飲み込めないかもしれないと、オッサンに頼んで、わざわざ座薬のパラセタモール(鎮痛剤)まで買ってきてもらってたのに、 ぜっんぜん必要がありませんでした。もしかしたら化膿止めとか、特別な作用が期待された薬かも知れないので、手術があった金曜日から、術後の経過を見るための外科訪問の水曜日まで、もらった薬は一応全部、時間がきたら服用していましたけど。


大好きなお医者さんに会えると思うと、病院に行くのも辛くないよな~とか考えながら、外科医のところに行くと、「ちゃんとくっついてるみたいだね。(縫合の代わりの)テープ、取っていいよ。自分で取る?それとも看護婦呼ぶ?」とのこと。自分ではよく見えないし、うちのオッサンは流血や傷口は一切ダメなので、看護婦さんに剥がしてもらうようにお願いしました。

この日は本当に外科手術の経過を見るだけで、摘出した腫瘍部分の細胞検査が出るまでには最低1週間はかかると聞かされていました。じゃあ、休暇から戻ってから詳しいことが分かるんだな。。。ぐらいの気持ちで、その日は病院に行ったのですが、相変わらずフットワークの軽い、偉そぶらないお医者さんが、「もしかしたら結果出てるかも知れないから、ちょっと見てくる」と、退出しました。私、ポカーンと一人、診察室に残されるの図。

普通、検査結果などは、アシスタントや看護婦が、手配、処理して、病院内ヒエラルヒーの頂点(?)であるお医者さんのもとに、恭しくもたらせられると思っていましたが、この外科医は、指折って日にちを数えて、ダメモトで、検査結果を自ら漁りに行ったのです。「おお、私よりもイラチ(関西弁で、短気な人の意)なんか、この先生~」とか思って待っていると、「Ik heb het! (あったよ!)」と書類を持って戻ってきました。後から推測するところ、この先生は、誰かの手でコンピューターに入力され、私の紙バサミファイルに入れられる前の検査結果を強引にさらってきた模様(笑)。


「検査の結果は。。。(ジッと検査結果を読んで)残念だけど、悪性だよ。そうなると、次は全摘になるっていうのは、前に説明したよね」と、私のほうを見ました。私としては、「内科医は、とっくの昔に血液検査と生体検査で悪性って言うてたがな~」と内心思ってましたが、体の大工さんである彼にしたら最後の最後まで、取り出して調べてみないと誤報である可能性は捨てきれないとでも、考えているのでしょうか。どちらにしても、あっけらかん。しんみりとしてない万年青年なので、私も随分気が楽でした。

「で、キミ、すぐに休暇に行くんだろ。今度の手術のスケジュール、1月はまだ全然予定が入ってないから、いつでもいいよ。いつにする?月曜日と金曜日が手術日だけど、いつがいい?それとも、休暇が終わってから決める?」と、真っ白な彼のポケットサイズのスケジュール帳を開いて、見せてくれました。

1月の第1週にオランダに戻って、溜まってる仕事、および私が病欠中の手配やらなんやらするのに1週間は必要。。。ということで、2回目の甲状腺全摘手術のスケジュールは1月20日に決定。自分で調べて知っていたけれど、全摘手術の5-6週間後に、今度は設備の関係で、アムステルダム内の別な病院にてアイソトープ治療をするという説明も受けました。そして、微量とはいえ服用した放射性ヨードの2次被爆を防ぐために、一定期間、他人との接触が制限されることも。。。

「あのー、今回の発癌がきっかけで、もしものときに面倒臭いからウチの彼と結婚することにしたんですけど、それが3月12日なんです。結婚式までに、一連の治療、終わりますか?」と聞いたら、外科の先生は例のポケット手帳を繰りながら、「あ、それはおめでとう。で、20日に手術するだろー、5週間後にアイソトープ治療して、そのあと2週間は人との接触が制限されるとして。。。うんっ、なんとか間に合うと思うよ」という返事。


もし何かあったら。。。と心配しても仕方がないと思うのは、私が暢気なのか、スケジュールに対する認識がオランダナイズされてしまったのか。そのどちらの影響も強いと思いますが、もし、何らかの事情で手術が延期になったり、その後の経過が思わしくない場合、じゃあ、別なことを先にして、というのが無理な治療なので、全体の予定がずれ込みます。そんな事態が発生したら、その時はその時。心配したり、責任問題をなんちゃらいってる問題ではなく、フレキシブルに、その時点でとれる最善の選択をすればいいことです。最悪の場合は結婚式の延期ですが、それは市役所にキャンセルか延期を申し出たら済む話ですもん。(あ、もちろん、最悪の最悪、手術後に麻酔から目が醒めないとか、日本行きの飛行機が落ちるとか、意地汚く食べ過ぎて絶命するとかいう可能性はありますが、そういうのはこの際無視して。。。)

最後に、「処方されてる薬がまだあるんですけど、元々薬が嫌いであまり飲みたくないんです。飲まなくてもいいのであれば止めたいんですけど」と言ったら、「鎮痛剤だけだから、必要なかったら飲まなくても良いよ」という返事。な~んや、そうなんや~と、その日から服用をストップしました。どうも手術後にしんどかった原因のほとんどは、切った貼ったではなく、麻酔に始まって各種薬の副作用のような気がしてたんです。元来痛みに強いのもあるけれど、どうも鎮痛剤を飲んでも、体の調子がおかしい野生児な私。

「出来たらセンセーに取ってもらいたいんですけど」などと言えるわけもなく、「今、看護婦呼ぶから、テープ取ってもらって。じゃあ、また来年。良い休暇を」と言って手を差し出した外科医と握手して、本日および本年の診察終了。手術跡、4cmの傷口に直角に、隙間なく並べて貼られた5mm 幅のゴワゴワした縫合代わりのテープが、看護婦さんの手で剥がされました。ちゃんとくっついてるけどデコボコ。傷の端っこがまだ凝血してるし、カラーのフランケンシュタイン映画のようでした。傷口にバイキンが入らないようにだと思いますが、しばらくはガーゼを当てておくように言われました。言われなくても、首に巻いたスカーフが引っかかったり、襟がささったりしたら嫌だからガーゼするつもりでいたし、なんせそれよりも、人目に触れたら、みんなギョッとするような我が首。もちろんオッサンは、「ほらほら、こんなんになってるで~」と見せびらかしても、ギューっと目を瞑って絶対に見ようとはしませんでした(笑)。


それまでは、首の辺りがテープでゴワゴワして、急に振り向いたり、上向いたりがしにくかったけれど、今度はテープがないので、モロに傷口が引っ張られてしまいます。ただでさえじっとしていない私なので、なんかの拍子にパカッと傷口が開くことが心配でしたが、そういう事態に陥ることもなく、日本へと旅立ちました。

予想していたよりも術後の回復が早かったので、首に2重のスカーフを巻きつけたムチウチ患者のような不自然な動きで、フランクフルト乗り換えで、関空に到着しました。アムステルダムの空港までは、オッサンに送ってもらい、関空から神戸まではリムジンバスで、そこから明石まではジジの車での移動。馬鹿力なもので、20kg ぐらいのスーツケースなら、首に負担をかけずに腕の力だけで持ち運べるデカ女であることを感謝しながら、乗換え等も含めて1日がかりで来日を果たしました。

IMG_0583
(文字ばっかりでは味気ないということなので。。。アムステルダムの運河に浮かぶ、白鳥の親子連れ。水面に、アムステルダムの街並みが映っているのがわかるかな。)




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