手術

August 17, 2012

4cmの切れ目入りで来日

前回の投稿から時間が経ってしまいました。12年一緒に住んでるオッサンと、まったく新鮮味のない新婚旅行に行ってきました+その前後のバタバタで、こちらのブログ更新まで手が回らなかったのが実情です。その旅日記は、「は~るばる来たぜ北極圏!てなもんや新婚旅行記」として別ブログ「アムステルダムだより」に書いておりますので、ご興味のある方は、お時間のあるときにご覧ください(。。。というのも、長いんです。スミマセン、長文体質で)。


第一回目の手術(そのグリグリがどんなものかの確認するための、腫瘍部分の摘出)が無事に終わり、自宅に戻ってじっとしようと心がけておりました。同じ手術をしたパポピに、首に負担をかけないように生活するのがめっちゃ大変やったと聞かされていたので、8時間ごとに服用するように言われた錠剤を飲み、薬のせいで喉が渇いて目が覚める以外には、拍子抜けするぐらいの、「ムチウチのために動きが不自然な人」ぐらいの状態で過ごしました。

冬期休暇を早めていたので、自宅でほぼ完了していた日本行きの準備をしたり、普段よりも手をかけて晩ご飯の用意をしたり、暇に任せて窓拭きまでしてしまいました。。。ああ、じっとしていられない貧乏性(笑)。もしかしたら薬も飲み込めないかもしれないと、オッサンに頼んで、わざわざ座薬のパラセタモール(鎮痛剤)まで買ってきてもらってたのに、 ぜっんぜん必要がありませんでした。もしかしたら化膿止めとか、特別な作用が期待された薬かも知れないので、手術があった金曜日から、術後の経過を見るための外科訪問の水曜日まで、もらった薬は一応全部、時間がきたら服用していましたけど。


大好きなお医者さんに会えると思うと、病院に行くのも辛くないよな~とか考えながら、外科医のところに行くと、「ちゃんとくっついてるみたいだね。(縫合の代わりの)テープ、取っていいよ。自分で取る?それとも看護婦呼ぶ?」とのこと。自分ではよく見えないし、うちのオッサンは流血や傷口は一切ダメなので、看護婦さんに剥がしてもらうようにお願いしました。

この日は本当に外科手術の経過を見るだけで、摘出した腫瘍部分の細胞検査が出るまでには最低1週間はかかると聞かされていました。じゃあ、休暇から戻ってから詳しいことが分かるんだな。。。ぐらいの気持ちで、その日は病院に行ったのですが、相変わらずフットワークの軽い、偉そぶらないお医者さんが、「もしかしたら結果出てるかも知れないから、ちょっと見てくる」と、退出しました。私、ポカーンと一人、診察室に残されるの図。

普通、検査結果などは、アシスタントや看護婦が、手配、処理して、病院内ヒエラルヒーの頂点(?)であるお医者さんのもとに、恭しくもたらせられると思っていましたが、この外科医は、指折って日にちを数えて、ダメモトで、検査結果を自ら漁りに行ったのです。「おお、私よりもイラチ(関西弁で、短気な人の意)なんか、この先生~」とか思って待っていると、「Ik heb het! (あったよ!)」と書類を持って戻ってきました。後から推測するところ、この先生は、誰かの手でコンピューターに入力され、私の紙バサミファイルに入れられる前の検査結果を強引にさらってきた模様(笑)。


「検査の結果は。。。(ジッと検査結果を読んで)残念だけど、悪性だよ。そうなると、次は全摘になるっていうのは、前に説明したよね」と、私のほうを見ました。私としては、「内科医は、とっくの昔に血液検査と生体検査で悪性って言うてたがな~」と内心思ってましたが、体の大工さんである彼にしたら最後の最後まで、取り出して調べてみないと誤報である可能性は捨てきれないとでも、考えているのでしょうか。どちらにしても、あっけらかん。しんみりとしてない万年青年なので、私も随分気が楽でした。

「で、キミ、すぐに休暇に行くんだろ。今度の手術のスケジュール、1月はまだ全然予定が入ってないから、いつでもいいよ。いつにする?月曜日と金曜日が手術日だけど、いつがいい?それとも、休暇が終わってから決める?」と、真っ白な彼のポケットサイズのスケジュール帳を開いて、見せてくれました。

1月の第1週にオランダに戻って、溜まってる仕事、および私が病欠中の手配やらなんやらするのに1週間は必要。。。ということで、2回目の甲状腺全摘手術のスケジュールは1月20日に決定。自分で調べて知っていたけれど、全摘手術の5-6週間後に、今度は設備の関係で、アムステルダム内の別な病院にてアイソトープ治療をするという説明も受けました。そして、微量とはいえ服用した放射性ヨードの2次被爆を防ぐために、一定期間、他人との接触が制限されることも。。。

「あのー、今回の発癌がきっかけで、もしものときに面倒臭いからウチの彼と結婚することにしたんですけど、それが3月12日なんです。結婚式までに、一連の治療、終わりますか?」と聞いたら、外科の先生は例のポケット手帳を繰りながら、「あ、それはおめでとう。で、20日に手術するだろー、5週間後にアイソトープ治療して、そのあと2週間は人との接触が制限されるとして。。。うんっ、なんとか間に合うと思うよ」という返事。


もし何かあったら。。。と心配しても仕方がないと思うのは、私が暢気なのか、スケジュールに対する認識がオランダナイズされてしまったのか。そのどちらの影響も強いと思いますが、もし、何らかの事情で手術が延期になったり、その後の経過が思わしくない場合、じゃあ、別なことを先にして、というのが無理な治療なので、全体の予定がずれ込みます。そんな事態が発生したら、その時はその時。心配したり、責任問題をなんちゃらいってる問題ではなく、フレキシブルに、その時点でとれる最善の選択をすればいいことです。最悪の場合は結婚式の延期ですが、それは市役所にキャンセルか延期を申し出たら済む話ですもん。(あ、もちろん、最悪の最悪、手術後に麻酔から目が醒めないとか、日本行きの飛行機が落ちるとか、意地汚く食べ過ぎて絶命するとかいう可能性はありますが、そういうのはこの際無視して。。。)

最後に、「処方されてる薬がまだあるんですけど、元々薬が嫌いであまり飲みたくないんです。飲まなくてもいいのであれば止めたいんですけど」と言ったら、「鎮痛剤だけだから、必要なかったら飲まなくても良いよ」という返事。な~んや、そうなんや~と、その日から服用をストップしました。どうも手術後にしんどかった原因のほとんどは、切った貼ったではなく、麻酔に始まって各種薬の副作用のような気がしてたんです。元来痛みに強いのもあるけれど、どうも鎮痛剤を飲んでも、体の調子がおかしい野生児な私。

「出来たらセンセーに取ってもらいたいんですけど」などと言えるわけもなく、「今、看護婦呼ぶから、テープ取ってもらって。じゃあ、また来年。良い休暇を」と言って手を差し出した外科医と握手して、本日および本年の診察終了。手術跡、4cmの傷口に直角に、隙間なく並べて貼られた5mm 幅のゴワゴワした縫合代わりのテープが、看護婦さんの手で剥がされました。ちゃんとくっついてるけどデコボコ。傷の端っこがまだ凝血してるし、カラーのフランケンシュタイン映画のようでした。傷口にバイキンが入らないようにだと思いますが、しばらくはガーゼを当てておくように言われました。言われなくても、首に巻いたスカーフが引っかかったり、襟がささったりしたら嫌だからガーゼするつもりでいたし、なんせそれよりも、人目に触れたら、みんなギョッとするような我が首。もちろんオッサンは、「ほらほら、こんなんになってるで~」と見せびらかしても、ギューっと目を瞑って絶対に見ようとはしませんでした(笑)。


それまでは、首の辺りがテープでゴワゴワして、急に振り向いたり、上向いたりがしにくかったけれど、今度はテープがないので、モロに傷口が引っ張られてしまいます。ただでさえじっとしていない私なので、なんかの拍子にパカッと傷口が開くことが心配でしたが、そういう事態に陥ることもなく、日本へと旅立ちました。

予想していたよりも術後の回復が早かったので、首に2重のスカーフを巻きつけたムチウチ患者のような不自然な動きで、フランクフルト乗り換えで、関空に到着しました。アムステルダムの空港までは、オッサンに送ってもらい、関空から神戸まではリムジンバスで、そこから明石まではジジの車での移動。馬鹿力なもので、20kg ぐらいのスーツケースなら、首に負担をかけずに腕の力だけで持ち運べるデカ女であることを感謝しながら、乗換え等も含めて1日がかりで来日を果たしました。

IMG_0583
(文字ばっかりでは味気ないということなので。。。アムステルダムの運河に浮かぶ、白鳥の親子連れ。水面に、アムステルダムの街並みが映っているのがわかるかな。)




にほんブログ村 病気ブログ がん・腫瘍へ にほんブログ村 海外生活ブログ オランダ情報へ


woneninams at 23:56|PermalinkComments(0)TrackBack(0)このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Clip to Evernote

July 11, 2012

目覚めたら大部屋

前回の更新から、間が空いてしまいました。もう一つのブログ、アムステルダムだよりのほうで書いているように、毎日ドタバタやっているのでご心配なく。ホルモン剤の副作用に苦しむこともなく、あまり以前と変わらぬ生活をしております。変化があったとすれば、もうちょっと頑張ればできることを、意識的に止めることにした。。。ということでしょうか。なので、このブログもゆっくりと、書けるタイミングで、書きたいことをアップしていくことにしました。

そして、本日、このブログにお役立ちリンク第一号を貼り付けさせていただきました。神戸でがんばる社長さん、永峰麻紀さんがされてる「おみまい便」です。このおみまい便サイトにも、看病のプロでもある麻紀さんが書かれた、ためになる読み物がいろいろありますが、彼女のブログ「病気とともにある人生に Happy を!」も、ぜひお読みください。病気に勝つ、負けるはないと思います。生命体である限り、いつかは消える命です。もうアカン、だめだと思って、すべてを諦めてしまった状態が、負けたことになるのではないかなと思います。お医者さんや周りの人が、もうダメだとか、可哀相とか思っても、怪我や病気でベッドに縛り付けられても、自分が自分らしく生きようとしている間は、自分の人生を生きているのだと考えます。それよりも、死んでないだけの人が、この世の中になんと多いことか。。。だから私はアムステルダムから、ブログを発信し続けているのでありました。


さて、これまでにも、全身麻酔の経験があるので、それ自体はビビッておらず、逆に、麻酔が醒めかけときに変な夢を見たりするので、今度は何かな~とちょっと期待してたりして(笑)。今回は、別にこれといって変な夢を見ることもなく、英語そのまんまで Recovery (リカバリー)とも呼ばれる、Uitslaapkamer (覚醒室。Uitslapen は、十分に睡眠を取るの意)で目が覚めました。どんなところかというと、ベッドが大人サイズの新生児室というか、野戦病院というか、何部屋分もぶち抜いた大きな部屋にベッドが並んでいるところであります。病室から手術室まで運ばれたゴマ付きの自分のベッドの上で、なんとなく目が覚めていきます。麻酔や鎮痛剤のお陰で痛みも無く現実に引き戻されましたが、相変わらずド近眼のままには変わりはありません。壁にかかっているらしき時計も時間までは判読できないし、麻酔の名残りではなく、視線が定まらずに挙動不審な私。心配していた声の変調もなく、看護婦さんに「目が悪くて、あなたがどちらに向いているのかも分からないのよ~」と言ってびっくりされたりしながら、熱や脈拍、血圧などを測られ、病室に戻れるようになるまでを過ごすわけです。

隣の患者さんとも、一応カーテンで仕切られてはいますが、あっちこっちで計器がピーピー、ゴボゴボいってたり、他の患者さんが呻いていたりしています。それが観察できるようぐらいになったら麻酔も切れたということなので、他人が気になり始めたぐらいで、さっさと自分の病室に戻されます。だから、この部屋は出入りも激しく、ワサワサした感じがしましたよ。


自分の部屋(といっても数時間前に初めて通されたとこですけど)にベッドごと戻され、担当の看護婦さんに言われたのが、「絶食してずっと胃の中にモノが入ってないので、気分が悪くなることがあります。何か食べないといけませんが、何が良いですか?」。何がって、何があるのんと思って聞いたら、Boterham (薄切りパン)か Beschuit (オランダのラスク)から選べるらしい。そんなん要らんわ~って思っても、ここはオランダですので、お粥とか出てきません。なのでパンをお願いしたら、白いパンか全粒粉かと聞かれ、それからジャム、ハム、チーズのどれが良い?バターは要る?という、これまたオランダ人の典型的な朝食とランチみたいな献立の選択を迫られました。なので、紅茶と全粒粉の薄切りパン、透けるように薄く切った個別包装のチーズといういかにもオランダの病院食っていう感じのものを、ベッドのリクライニングを起こして、もそもそとちょっとずつ食べました。オランダで手術や入院する人にここでアドバイスです。自分の生年月日とともに、もともと選択肢は少ないとはいえ、パンかラスク、付け合せるものは何にするか、あらかじめ心の準備をしておいた方がいいと思います。なんせ麻酔がちょっと残ってるので、自分ではちゃんと喋っているつもりでも、頭と口がよくまわっていなかったりします(笑)。


「おお、ちゃんとごはんが食べられるやん!(パンやけど)」などと、パンをもそもそ飲み込みつつ自分の頭の中で突っ込みながら、心配している(はずの)オッサンに電話をかけました。自分用のベッドの横にキャビネットがあり、そこに患者用の固定電話があるのです。市内だけなのか、国内は大丈夫なのか分かりませんが、患者がお迎えの人を呼んだりできるように、無料で使うことができます。「手術終わったで~。まだ生きてるで~」というだけでなく、ピピポ姉のオフィスにも電話連絡を入れるように、オッサンにお願いしました。

日本とは時差だけでなく、うちの家族とオッサンには言葉の壁もあります。身振り手振りと愛嬌だけでは、電話での伝達は無理(笑)。なので、手術をすることを伝えていた妹のパポピと、何人か日本人に向けて、手術が済んだというメッセージをメールで入れてもらうよう、ピピポ姉に事前に お願いしていたのです。「手術をするのは医者なので、遠くにいても近くにいても何もできないのは一緒やん」と思う私は冷血な例外のようで、どうもみなさん心配されてたらしく、この手術終了のメッセージは、「やっぱり気になってたから、メールもらってほっとした」、「ありがたかった」とのことです。電子翻訳飛脚になってもらったピピポ姉に、またしても感謝。


熱もないことだし、自分で着替えたりお手洗いにも行けるので、予定通りその日のうちに家に帰ることになりました。ところが、帰り道に何かがあったら困るので、一人では帰らせてもらえません。オッサンが終業時間きっかりに来ることになっていたのですが、なんかでずれ込んだようで、18時半ぐらいになっても現れません。一人で帰ると言っても許されず、結局私のために残業させることになってしまった、着替え終わった看護婦さんと一緒に、ロビーまで歩いていったところで、やっとうちのオッサンが現れ、彼の運転する車で家に戻りました。お迎えが来ないと帰れないって、ちょっと託児所の子供の気分でした。


帰宅後は、麻酔で眠っていたせいもあり、昼夜がよくわからなくなっていた感じだけれど、早めに就寝することにしました。結構ケロッとしていたのですが、手術したてホヤホヤの病人ですから、一応(?)大事を取ってみました。一応って。。。



にほんブログ村 病気ブログ がん・腫瘍へ にほんブログ村 海外生活ブログ オランダ情報へ


woneninams at 21:35|PermalinkComments(0)TrackBack(0)このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Clip to Evernote

June 23, 2012

グリグリ摘出手術<その1>

「医は仁術」であるならば、患者は「忍術」をうまく使いこなせれば楽になります。火遁(かとん)、水遁(すいとん)の術とか、マキビシが扱える方ではなく、うまく自分の忍耐を扱う術です。お医者さんとアポを取るだけでなく、病院や検査機関に行っても、予約時間通りになるのは稀で、順番がまわってくるまで待たされます。しかも、(表面的には)一生懸命しているようにセカセカと動いてくれる日本人ではないので、そういう待遇が当然だと思っている人なら、オランダの病院で勤務している人たちが、とっても暢気に見えてイライラすることでしょう。(大きな声では言えませんが、日本人に限らず、「待たされてる間に死んだらどうする!」とヒステリックに叫ぶ人ほど、たいてい大したことないんですけどね。)

もちろん、健康上の不安があれば気も滅入りますが、治療関係でも結構落ち着いていろんなことを受け止められたのは、甲状腺乳頭癌の進行は遅いとされていることを知っていたこととともに、私には逆の立場から見ようとする思考のクセがついているからかも知れません。 お医者さんも、看護師さんも、どこかの実験室みたいなとこで私の血液や腫瘍を検査をしてくれた人たちも、みんな私のために一生懸命してくれてると思えたら、不要なイライラを撒き散らして、自分と周りを余計に不幸な状態にすることもなくなります。自分がどうして欲しいのかと伝えることと、自分が思うように扱ってもらえない不満を相手にぶつけることは、全く違うことですもん。

もし、異国で治療を受けられることがあれば、通訳できる人が必要でも必要でなくとも、自分が何を必要であるかをしっかりと見極め、症状と具体的な要望を、簡潔に医療従事者に伝えよう、と意識して考えてくださいね。「こちらの気持ちになって考えてくれない」というのは、日本人の錯覚であり甘えです。あなたがどう考えているのか、感じているのかなんて、他人にはまったく想像もつかないのですから、自分の意志は自分で表現していかないといけません。。。ここまで書いて、これは対オランダ人だけに言えることだはないことだなあと思いました。何となく「分かってるつもり」が多いけれど、問題が表面化した時に「分かってくれない」ではなく、「自分は理解してもらえるようにしたのか?」という考え方をすること。そうすれば、解決まで行きつくのが早くなりますよ。


さて、病院に持って行くものを揃える以外にも、
他にも手術前の準備がありました。PPO(ペーペーオー)という何それ?と言いたくなるような名前の部署に行くことです。PPO というのは、 de polikliniek pre-operatief onderzoek の略で、日本語にすれば「事前調査をする医科」といったところ。私がかかったところでは、このように独立した科がありますが、他の病院では麻酔科でするようで、いわば「麻酔が必要な手術、治療」の事前調査です。

まず、名前や生年月日に始まり、これまでの病歴、手術歴、アレルギーの有無、遺伝の可能性がある家族の病歴などから、飲酒、喫煙の習慣、体で動かしにくいところがあるかなどなどの、たくさんの項目が連なった問診票に記入させられます。残念ながら、問診票をコピーしていなかったので、どのようなものがあったかすべて覚えていませんが、両親の出身国まで記入するところがあったのが、さすが人種の坩堝アムステルダムだと思いました。個体差だけでなく、やはり人種によって明らかに突出した身体的特徴や傾向はあります。それを知ることで未然に防げるリスクがあるのであれば、利用しない手はないですもの。

受け付けでその用紙を提出した後、個室に案内されて、体重、血圧、心拍数を計測します。。。あ、ここで一つ、大事なことを思い出しました。オランダで医療機関にかかったら何億回も言わされる覚悟をしておいた方が良いのが「生年月日」です。何かの計測なり採血でもしようとすると、「XXさん、あなたの生年月日は?」と尋ねられます。この名前と生年月日を確認するという手順を踏むことによって、単純なミスが大事に繋がる
医療事故を防ぐというのは、大変シンプルかつ効果的な方法です。ただ、言われる方はまたか〜と思うし、病院でもないところで Mevrouw (メフラウ。女性への尊称)+苗字で話しかけられると、思わず生年月日を答えそうになって苦笑するという副作用はありますが(笑)。オランダでは、年月日(ねんがっぴ)はちょうど日本とは逆さまで、日月年(にちげつねん)となります。英語も問題なく通じるオランダでも、生年月日はオランダ語で言えるようになっていると、病院などではスムーズに事が運ぶことでしょう。。。


計測が済んだら机に向かい合った形で座って、「どのような手術をするのか知っていますか」、「手術前8時間に入ったら一切の食事は禁止で、2時間前から飲み物もダメです」などといった説明をしたあと、それまですっかりお医者さんだと思っていた人が「それでは Anesthesist (麻酔医)が来るまでお待ちください」と部屋を出て行きました。今のは誰やってん?と思ったら、アシスタントさんでした。この医科に何十年とかいうベテラン専任スタッフもいるので、明らかに医者の方が貫禄がない場合もあって、よく見ないと違いに気がつかないユニフォームだと、パッと見には区別がつかなかったりします(笑)。

 麻酔医の説明と言っても、私の病歴はすでにコンピュータに記録してあり、花粉症程度で何かに猛烈に反応するアレルギーもなく、普段から頭痛薬すら飲んでいないので、「これまでに、手術の麻酔とかで、問題はなかったんですね」で、簡単に済んでしまいました。(このときに、コンピューター画面がちらっと見えて、私の腫瘍の大きさが 1,6 x 0,9 mm というのが読めました。こんな小さな塊が、私の太い首の中に埋まってて、よく気がついたものです。位置が違っていたら、発見も遅かったのではと思いました。)

最後に小さな麻酔に関するパンフレットの「何時間前から絶食する」という私に関する項目と、何かあったら問い合わせが出来る電話番号というところに、目の前でマーカーで印をつけて、渡されました。
その場では思い浮かばないけど、後から聞いておけばよかったというような疑問に対応するためなんでしょうね。家に戻ってから読んだら、確かに当たり前なことばかりだけど、考えもしなかった「麻酔後にもし痛みがあった場合」とか、知っておけば何かあった時に慌てずに済みますものね。


脂肪という名の備蓄が十分あるゆえに、数日ぐらい食べなくても生命への支障はないとはいえ、普段から「食に対するパッションが高い」と食い意地が張ってることを表現している私です。ときどきやってる朝ご飯抜いたのと同じなのに、食べられないと思ったら余計に食べたくなるのが絶食(笑)。しかも、手術の前日も仕事で遅くなり、夜の10時過ぎに帰宅して、大急ぎで料理。絶食開始の直前に夕食を食べ終えました。。。病院は、こういう形の絶食を意図していたのではあるまい、とか思いつつ。

手術後に病院まで迎えにきてくれるとのことだったので、病院が(怖くて)嫌いなために、私よりも今回の手術にビビっているオッサンに「ほな、後でね〜!」と手を振って、余裕をもって徒歩で病院に向かいました。歩いたら1時間弱かかる距離ですが、体力作りも兼ねて、疲れすぎない程度にできるだけ歩くようにしていましたから。もともと、アムステルダムを散歩するのが好きというのもありますが、それに手術後は、一時的とはいえ寝たきりに近い状態になりますからね。ただでさえ硬い体へのささやかな抵抗です。


病院に到着し、デイケア部と直訳できる afdeling dagbehandeling という部署を探して、今日手術をする予定のものですと申告したら、(私の場合は男女混合の4人部屋の)自分のベッドに案内されました。
ベッド脇には、食事をする時には天板を引き出してテーブルにする、ゴマ付きのキャビネットがありました。そして、「これに着替えてください」と、渡された患者用の手術着は、ペラッペラの生地で出来た空手着を思わせるズボンと、前後と体側がスナップで開けられるようになっている幼稚園児のスモックのようなブカッとした上着のセット。私の手術は首なので、上半身は裸で、下半身は下着を付けたままで着用して良いとのことでした。(裸だから、スナップの金属が当たるとチメタイよ〜!)

着替えは男女に分かれたロッカールームのようなところで行い、その中にあるロッカーに靴と着替えを入れるようになっています。ここで上履きスリッパが活躍するわけですね。


ベッドに戻ったら、看護師さんが最終チェックにやってきました。また、名前と生年月日から始まって、手術内容の確認、アレルギーの有無など、彼女の持っている資料に間違いがないかを一通り、患者と一緒にチェックします。そして、何かあったときに連絡する人の名前と電話番号を申告。(私はうちのオッサンだけでなく、事前に了承をとって、ピピポ姉の名前とオフィスの電話番号を答えました。)

麻酔を効きやすくするためか、鎮痛剤のような薬を一錠投与され、耳栓をして横になって本を読んでいるうちに、それまでの疲れが出たのか眠ってしまっていました。「手術ですよ」と起こされてお手洗いに行き、コンタクトレンズを外した時点で、ド近眼の私は、寝ぼけてるのも手伝って、すでに幽玄の世界に突入。ベッドを押して手術室まで運んでくれる看護師さんに「心配ですか?大丈夫ですか?」と聞かれても、「大丈夫です。眠たいから、早く麻酔かけて欲しいです」とかワケの分からないことを答えながら、寝転んだままいくつも角を曲がって、近視故にはっきりと区別のつかない壁や天井を眺めておりました。

手術室では、何人もの緑色の医療従事者用の手術着を来た人が、モニターを見たり雑談しながら、いろんな機械類をいじくっていました。目が悪いから、男女の区別も声でしかつかないぐらいで、せっかく手術室に入ったのに、どんな機械かさえ判別できなかったのは残念!(え?ここは残念がるポイントではないですか。。。)


手術台の上に仰向けになり、左の手の甲に点滴の針を固定され、恐怖心ではなく睡魔のために早くして〜!と思っていたところ、私の大好きな外科医登場(というか、コンタクトレンズがないから、「ハロー、だいじょぶー?」と声をかけられるまで、それまで執刀医の彼がその場にいることを知らなかった。とほほ)。それでもついに、手術が始まるのか(やったー、寝られる!)と思ったら、ハスキーボイスなオバちゃんが呼ばれて飛び出てジャジャジャジャ〜ン、紅白の大トリみたいに、みんなお待ちかね状態で部屋に入ってきました。

「誰やねん、このオバちゃん」とほとんど使い物にならない目で彼女を見上げると、「私はXXと言います。あなたは、なんのために手術しますか?」と質問されました。「はあ?ここに居る人らは、もしかしたら、何の手術するか知らんと居てるのん?」と2秒ほど質問の意図が掴めずにいたら、どうやらこのオバちゃんは、手術がちゃんと遂行されるかどうかを管理する立場にある人なのだなと理解できました。医療ミスを防ぐために、数千回(爆)生年月日を言わされたりというチェックがいくつもありましたが、手術の直前に、本人とスタッフに、今から行われる手術の内容に、本当に間違いがないかの念押しのチェックだったわけです。

今回は、名前と生年月日をオバちゃんが読み上げ、それに間違いはないですねと聞かれ、何の手術をするのかを患者(私)の口から言わせるという形の質疑応答の確認でした。まあ、間違ってなかったので、まさしく形式だけの確認なんですが、もしどこかで患者やカルテが入れ替わってたら。。。と考えたら、本当に怖いですよね。

無事に確認が済むと、部屋に居た人たちが一斉に息を吐く気配を感じました。チェックが滞りなく終わった安心感と、さあ、始まるぞという緊張感がミックスされた呼気でしょうか。それまでがシーンとしていたゆえに、急に慌ただしくなった感じの手術室の真ん中で、麻酔のマスクを口にあてがわれ、左腕から薬物が注入されていることを感じながら、オバちゃんがハスキーボイスでカウントするオランダ語の1、2、3ぐらいで、
私は意識がなくなりました。

<その2に続きます>
長文体質ですみませんです。。。

 
にほんブログ村 病気ブログ がん・腫瘍へ にほんブログ村 海外生活ブログ オランダ情報へ


woneninams at 17:23|PermalinkComments(0)TrackBack(0)このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Clip to Evernote

June 11, 2012

最初の手術の準備

にほんブログ村というのに登録したら、一気に訪問してくださった方が増えてびっくりしています。「私のブログ、読んで~」と言うのはこっ恥ずかしいのですが、私の書いたものが、その情報を必要な人のところに届いて、少しでもお役に立てれば幸いです。基本的に、どうにもならないことに固執しても自分がシンドイだけというのを自分自身で経験しているし、自分ではどうしようもないことを思い悩んで苦しんでいる人を周りに見るたびに、もったいないなあと思うんです。なので、闘病してるしてないに関係なく、考え方次第で毎日が変わってくるのだということも伝わったらよいなと思いつつ。


今回は、どんな手術の準備をしたかを書こうと思います。。。なぜなら、家でブログを書こうと思ったら急な夕立に襲われて、オフィスに居残り中。甲状腺関係の資料が一切手元にないのです。いい加減なことは書けないので、日付など関係ないお話にしますね~。


これまで、盲腸などの手術をいくつかしてきましたし、金曜日の仕事中に急に週末旅行に行くことを決めて、突然出発することになって焦る修羅場を何度もしていたお陰で、今回の手術と日本行きの準備も、なんとか手術の前日までに準備することができました。

それに、旅行や入院の準備は、うちのオッサンには手出しをさせないほうがスムーズにいったりします。うちのオッサンは、「どうせ僕がやっても気に入らないんだろう」などと不貞腐れますが、やつに任せて忘れ物して、後から困ったり地団太踏むのであれば、たとえ睡眠時間を削っても、私がやります、やらせてくださいです(笑)。できるだけ軽量に、コンパクトに、そして美しくパッキングできたら、達成感もひとしお。。。って、目的は変わってしまってますけど、うちの荷造り担当は私になっています。


全身麻酔で喉の切開が行われましたが、容態がよっぽど悪くなければ日帰り手術ということは、最初から分かっていました。なので、私が最初の手術に持っていったのは。。。


* 健康保険証

* 病院のカード

* 身分証明書

* Tram (路面電車)のカード

* メガネ(ド近眼です。マンスリーのコンタクトレンズは手術前に捨てました)

* 20ユーロ札1枚

* 耳栓

* アイマスク

* ハンドタオル1枚

* 部屋履き(ホテルの使い捨てのを持っていって、帰るときに処分)

* 文庫本2冊

* 家の鍵


これだけです。いくら自分用のロッカーが与えられるとはいえ、鍵はかかりませんし、滅多にないとはいっても、盗難に遭わないという保証はありません。なので、お気に入りの財布も持たずに、盗られても諦めがつくもの、最低限必要と思われるものだけをジップロックのような袋に入れていきました。

日帰りでは耳栓とアイマスクは必要ないかなと思ったのですが、準備で疲れて睡眠不足のまま手術の日になったために、手術前に寝るのには役に立ちました。(緊張感が感じられない患者だなあ。。。) かさばるものではないので、旅行にはいつも持っていくアイテムでもあります。

手術中はアクセサリーも外さないといけないので、指輪なども家に置いていったほうがいいですね。オランダの治安が悪いとか、人を信用できない人間になったのではなく、用心するに越したことはないというのはしっかり身につきました。誰のせいでもなく、盗られるようなものを持っていくほうが悪いんです(笑)。


手術後、どれぐらい体の自由が利くのかわからなかったので、後から出発するオッサンの分も合わせて、日本行きの準備もできるところまでやりましたが、看病が得意ではない(というか、オロオロするだけでまどろこっしくてイライラさせられる)オッサンはあてにできないので、あれば便利だろうと思われる、自宅療養グッズというべきものもある程度用意しました。


* 高さを調整できる枕(パポピが速攻で注文して、日本から送ってくれました)

* 片手で開けられる 500 ml のサーモ水筒(これもパポピお勧めで、日本で前年に購入)

* ティーバッグになったハーブティ

* 前開きのパジャマ (着脱および、首の傷口がどうなるのか不明だったため)

* スカーフ数種類

* 一食分ずつにまとめたご飯を冷蔵&冷凍


幸いなことに、パピポが送ってくれた枕をそこまで必要とはしませんでしたが、首に負担をかけないためにはあってよかったグッズでした。そして、ハーブティというのは、麻酔や鎮痛剤などの薬で負担をかける内臓の働きを助け、手術箇所の腫れも早くひかせるために、利尿作用のあるものを選びました。特に、夜中に喉が乾いたときに、冷たいものではなく温かいものを飲むと、体がホッとしたので療養時にはお勧めです。薬のせいか、喉が変に乾くんですよね。

術後も結構動けたので、重たいものを持つ以外の家事は全部できましたが、ちょっとお惣菜やお弁当を買えない海外生活。そんなときの冷凍ごはんは、日本人の命綱と断言できるでしょう。やっぱり疲れているときに、毎食パンやジャガイモはつらいです~!(なのでオッサンが弱っている時は、オランダ飯にすることにしてるんですよ。食べ物は心身の基本ですからね。)


にほんブログ村 病気ブログ がん・腫瘍へ  にほんブログ村 海外生活ブログ オランダ情報へ


woneninams at 22:58|PermalinkComments(0)TrackBack(0)このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Clip to Evernote

May 27, 2012

外科医に一目惚れ!?

毎日の雑事をこなすだけでも、忙しくしていると、本当に1週間ぐらいはあっという間に過ぎてしまいます。半年後に振り返ると、新たな検査、違う科に訪問といった段階を、リグリが見つかってから、ほぼ一週間ごとにこなしていったような感じがします。

遠足とか早く着き過ぎたデートの待ち合わせといった、待っている間のプロセスが楽しめるモノでもない限り、待たされるのは嫌なものです。しかも病気に関わる検査の結果待ちというのは、高校や大学受験の発表待ちと並んで、やりきれないウェイティング、待ち時間ではないでしょうか。しかし、
サクラチルで人生の終わりのような衝撃を受けても、またなんとかなるもんです。逆に、天下を取ったような気持ちになるサクラサクの後でも、希望校に入ったら入ったでまた、楽しく大変な日々は続くのですが、怪我や病気となると、これまで通りであることが一番の望みですから、また別な種類のウェイティングですね。

検査の結果待ちや手術日までの期間は、考えないようにしても最悪な可能性の「もし」という仮定状況が頭に浮かびます。さすがに楽天的な私でも、たまに悲観的に考えるときがありますが、これまでの人生経験上、「最悪と最善のパターンを事前に想定しておけば、結果はたいていその間で収まる」という思考をするようになっているので、甲状腺癌発覚でも思い詰めることはありませんでした。最悪のパターンは死ぬことですが、道を歩いていて上から植木鉢が落ちてきて死ぬこともあるし、食べ物が喉に詰まって窒息死することもあります。そんなことはないと思ってるから、毎日平気で生活できるのであるし、そういうことを心配していたらノイローゼになってしまいます。死ぬときゃ死ぬんです。だからそれまでにどう生きるかの方が、私には重大なんです。


外科医との最初のアポは、11月30日。これまでずっと一人で医者を訪問してきましたが、今回は仕事の都合を付けて、うちのオッサンもついていきました。。。その日まで心配してなかったのではなく、
オランダ語も含めて、私を信用していたからということにしておこう。。。今度は同じ病院でも、アムステルダム市の東部にある大きな近代的な病院。Punctie (太めの注射器で細胞を摂取)したところです。


覚悟はしていましたが、アポの時間よりも30分ぐらい待たされてから問診する部屋に通されました。それぞれのドクター専用の個室はあるのでしょうが、その先生専用ではなく、向かい合って座れるようになっている事務机とコンピューター1台、診療ベッド、洗面台、壁に箱ごと貼付けられているいくつかのサイズの医療用手袋等がある、外科に付属するいくつかの小部屋といった感じの診察室です。

私の手術を担当してくれるのは、40代半ばから50歳ぐらいかと思われる白人男性。白髪や皺とかから、決して若造ではないことが分かるのだけれど、白衣の下は T シャツにジーンズ、もったいぶらない話し方から、白い巨塔で一派を従えている外科医というよりも、アウトドア好きが高じて専門店やガイドを始めてしまったさわやか万年青年といったところ。

「ドクター○○です。今度あなたの手術を担当することになりました」という自己紹介の後、彼が言ったのは「僕は外科で手術屋だから、切ったり縫ったりはするけれど、それ以外のことは聞かれてもわからないんだ。そして、その後はあなたのお医者さんの元に戻って、治療を続けてもらいますからね(ニコッ)」でした。その時は、面白いことを言うなあぐらいで、深く気に留めませんでしたが、このブログを書くにあたって思い返すと、なんて効果的なイントロなんでしょう!と、ますますこの外科医のプロの仕事人振りに拍手を送りたくなりました。

と、いうのも、病院サイドには「また来た」新しい手術患者とはいえ、ほとんどの患者は初めての経験となります。 これまで私も盲腸などで手術台には何度か寝っころがりましたが、甲状腺手術は初めてです。この説明で彼の役割を患者に明確に伝えるとともに、医者はみんなひっくるめて一つと考えがちな患者からの、専門外で答えられない質問に費やす時間をも、やんわりと牽制しているわけですね。彼の時間がもったいないからというよりも、無駄な時間を節約して、執刀外科医として彼しか出来ないことをこなしてもらった方が、病院や社会のためにはなるのですから効率的です。これも、職業的経験から来る知恵でしょうか。


そして、今回の手術の目的は「それ(見つかったグリグリ)がなんかよう分からんので、取り出して見てみるんだ」とのこと。取り出してみたグリグリの状況によって、2度目の手術が必要(全摘)となるか、投薬などの治療になるかという判断資料を提出するのが彼の役割で、具体的な治療法は内科医に委ねられるという連係プレー。手術屋と自分のことを称するのも、ヒトの体を隅々まで知っている自負があり、自分の職分に自信があるからでしょうね。そうでなければ、ぜったい爽やかではなく僻みっぽく聞こえるはず。

しんみりとすることもなく、「ショックだったろうけど、頑張ろうぜ」といった調子で、「ということで、じゃあ、手術はいつにする?(ニコッ)」という話になりました。部活の試合で負けた後に、ドンマイと励ます顧問の先生みたいなノリでしょうか。手術される身としては、いたいけな中学生部員と一緒で自力では計画できず、先生に全面的にすがるしかありませんけど(笑)。


自分で望んでオランダに住んでいない駐在員とその家族でなくても、毎年日本に「里帰り」する在蘭日本人の方も結構いらっしゃいます。お金がかかる以外にも、長時間のフライトが嫌いなので、用がなければ日本には行かんというのが基本ながら、私に輪をかけて加齢が加速している両親に顔を見せるのが、最近は、
(一部では来日と称されている)里帰りするメインの「用」になっております。昨年の夏に冬季の日本行き格安航空券が出た時点で、私が3週間、オッサンが1週間遅れて日本に行く計画を立てていたのです。

この相談をしていた日が11月30日の水曜日で、日本に出発するのが12月15日の木曜日。
「実は、近々日本に休暇に行くんですけど。。。」と言うと、
「別に今すぐどうこうっていう病状ではないので、休暇前にやっても休暇後にやっても、どっちでも構わないぐらいだよ」という返事。具体的な日にちを尋ねてから、「ちょっと待ってて。スケジュール見てくる」と部屋を出て行きました。

部屋に残されたオッサンと二人で顔を見合わせ、「と、いうことみたいやな」みたいな、完全消化できていない状況把握を感じていると、外科医が戻ってきました。

「来週の金曜日。12月9日。それでいける?(ニコッ)」

爽やかにニコッとされても、オッサンと私の頭の中で同時に行われたのは、15−9=6という計算式。「え〜〜〜〜っ、手術後6日で日本行きの飛行機に乗り込むんでっか! 日本行くには、直行でも12時間、乗り継ぎ含めたら1日がかりの移動やのに、大丈夫?」でした。

今回の手術は、腫瘍が小さいために、喉元にちょっと切れ目を入れて行われるもので、残る傷跡も4 cm 程度だそう。
喉をザックリ切るというのに、そこまでダメージは大きくないらしく、日帰り手術でさっさと家に返されます。再度「え〜〜〜〜っ!」。もし、腫瘍がもっと小さく1 cm 未満であったら、切ることもなく、穴をあけて済ませられたそうです。

とにかく、心配しながら日本で休暇を過ごすよりもましだろうということで、手術の予約を入れてもらいました。もし、術後の経過が思わしくなかったら、最悪の場合は休暇キャンセル。残念ではあるけれど、仕方がない。ここでも、最善と最悪のパターンを想定しながら、手術後、休暇中の仕事の調整と、いかにジジババに余計な心配をかけずに話を持っていくかに留意しながら、荷造りやお土産購入といった早まった出発の準備をいつも以上のバタバタと進めることになりました。。。手術の日には、ゆっくり寝られる〜!というのを楽しみにしながら。。。


にほんブログ村 海外生活ブログ オランダ情報へ にほんブログ村 病気ブログ がん・腫瘍へ

woneninams at 12:10|PermalinkComments(0)TrackBack(0)このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Clip to Evernote