外科手術x2

September 28, 2012

グリグリ摘出手術<その2>

8月初頭に行った定期健診の際、ちょっとしんどいときがあるからと、毎朝服用している Euthyrox という商品名の錠剤のホルモン含有量を200 μg (ミクログラム。マイクログラム、ミリグラムとも呼称。 mcg とも表記) から175 μg に減らしてもらいました。足りないよりも多めの方がいいだろうということで、服用開始直後は、血液検査の結果も鑑みて、十分と思われる量で設定されていた模様。もちろん、人体は複雑怪奇かつ微妙なものなので、ホルモンなど、微量でも大きな影響を及ぼすものは、これからずっと様子を見ながら調整していかねばならぬのですが、「フッ、過ぎたるが及ばざるが如し、というのを知らぬな、おヌシ」と、思いながらそんなこと知るはずもないオランダ人医師の顔を見ていました。お医者さんは、私がそんなことを考えていたとは、まったく想像してなかったでしょうね。

たった25 μgの違いでも、ナノ単位の極薄鎖帷子(くさりかたびら)を脱いだようになんとなく体が楽になった感じがしていたところ、アイソトープ治療から半年後の検査に備えて、8月24日からホルモン剤の使用を止めています。本日でまる5週間。体の中で「ホルモン足りてないよ~」と訴えてるのがわかります。また、経緯の方は、なっかなか進まないこのブログがそこまで進んだときに書きますが、月曜日に採った血液検査の結果、まだ甲状腺組織が体内に見られるということで、2回目のアイソトープ治療が決定しました。月曜日からヨード制限食を開始し、金曜日の朝に入院。A(病院名)スイートと呼んでいる隔離部屋でゆっくりしてきます。なんか、隔離されるの楽しみにしてないか?という疑惑もあるものの、それが済んだらずっと楽になる~と考えると、あと1週間ガンバロ~と思えるようになります。

それに、普段よりも肉体的にしんどいとはいえ、これまで5週間の仕事量は減らさなくてもやってこられた、というか、普段よりも荷造り等で大変な時期を乗り越えられたし、もし、何かの手違いや旅先などでホルモン剤を紛失した場合、エネルギーレベルが低くはなるけれど、一日二日で突然バタッと倒れたりするわけでもないのだという体験ができたのはよいことだと思っています。

今度は、まったく甲状腺ホルモンが体内生成されなくなるだろうから、この5週間目のしんどさが、2週間目、3週間目に来るのかわかりませんが、それでも1週間ぐらいはなんとか持つだろうと知っておけば、ホルモン剤がないっ!どうしよう。。。ビクビクってこともないですからね。甲状腺ホルモンは大事だけれど、酸素や水よりも重要度は少し低いということで、同病者の方、ご安心ください。


。。。前回のブログの続きに戻ります。。。

最初の手術のあと、まだ甲状腺癌腫瘍を摘出した患者という実感が湧かないまま、ジジとバ~バに顔を見せる以外の来日目的であった、神戸や関東で何人かの人に逢ったり、オランダからチューリップの球根を送ることで支援しようと活動している、岩手県陸前高田市小友町にある、気仙大工左官伝承館を訪問したりました。

お忍び訪問のつもりが、たまたま箱根振興会会長でもある館長さんがいらしてご挨拶が出来たり、職員の K さんが作る素朴で懐かしいながらも絶品のラーメンをご馳走になったり、公共の交通機関がズタズタになっている現地で、 Naomi さんの中学時代の同級生のべんちゃん(仮称。笑)とお姉さんの車で移動のお手伝いをしてもらったりしました。ここでも、いつかは逢いたいと思っていた方たちとゴタイメ~ン!が実現できて、本当に嬉しかったです。掘りごたつを囲んで S 兄とお話しが出来て、迷惑になるかもしれないかもと躊躇していた岩手入りして、本当に良かったと思いました。そして、 T 夫人が、「田舎なので何もないですけど」と、お茶菓子から地元名産のリンゴ、やさしい味わいのお煮しめなど、たくさん用意してくださっていたのがとても心に沁みました。おいしくて、嬉しかったです。大きな愛をありがとうございました。

また、「世界中のみなさんから支援、応援してもらって、なんてお礼を言ったらいいのかわかんねけど、本当にありがたく思ってやってきました。これから、まだまだすることたくさんあるし、どうやったらいいのか途方にくれてるのも事実だけど、こうやって来てくれること、忘れないでいてくれることが一番嬉しいんです」と、被災地の方の気持ちを代表して(一生懸命標準語になるように努力して。笑)語ってくれた S 兄の言葉、このブログをお読みの読者の方にお伝えします。

来年も、陸前高田市小友町にチューリップを送る手配をしました。今年、どれぐらいの数の球根をオランダから送れるのかまだ不明ですが、西の果てから応援してますよ~。小さな個人支援ではありますが、「小友オランダ園」についてご興味のある方は、サイトをご覧くださいませ。また、今年のチューリップの写真をお持ちの方がいらしたら、ぜひ私のほうまでメールで送付してくださいますよう、お願い申し上げます。


さて、ただでさえ限られている滞在時間を、甲状腺癌の話に割くのももったいないし、傷が隠れるように、いつも首になんか巻いていたし、それに、やったら大きな声で大騒ぎして喋る、手術したばかりとは思えないオバハンの登場(爆)。甲状腺グリグリを摘出したばっかりということを、自分でも忘れていたので、あとでびっくりさせてしまった方々ごめんなさい。後でびっくりさせるのが申し訳ないというよりも、自分が楽しむほうを優先させてしまいました~。


日本滞在中も、メールやスカイプを駆使して、オッサンが苦手な事務仕事を時差を超えて手伝っていましたが、やはりまるまる1ヶ月のブランクは大きかった。1月7日の土曜日にオランダに戻って、9日月曜日からすぐに職場復帰。滞っていた平常業務+年末の〆業務にかかりました。(オランダの税務年度は1月~12月なんです)

お尻に火が付かないと動き出さないとか、時間がない方が仕事が捗るというのも、真理であります。自宅では、とりあえず、勢いのあるうちに片付けないと出しっぱなしになりかねないスーツケースを、日本から帰宅した日と次の日で空にして、洗濯連投。次なる荒療治である20日の全摘手術前に、気になることを片付けておきたいと思えば、とりあえず出来ることから手をつけるフットワークも軽くなりましたね。


基本的には、1回目の腫瘍部分摘出手術の準備と、長いから二つに分けた手術前手術後の経緯とほぼ同じですが、今回は切開および摘出部分が大きくなるので、日帰りは無理。12 cm ぐらい切り開いて、経過によって2~3日の入院ということでした。


1月11日水曜日に、入院する病院の麻酔科の PPO (ペーペーオー)に行って、調査票に記入。診察室では、「あら、ついこの最近手術やったのね。その後、劇的に変化したことはなかったですね」みたいな、軽いノリでの手術の事前調査、確認をしました。血圧や心拍数もチェック~。


1月13日金曜日には、これまで診察してくれていた七人の小人のおじいさん内科医ではなく、これから長期に渡って私の担当医となるらしい、内分泌の専門内科医との初めてのアポに行きました。この先生、ちょっとロシアのプーチン氏系の顔立ち+アヒル口してるので、ひそかにプーチンダックと命名。なんかイマイチタイプではないというか。。。これまで熱い兄貴分というか、熱心な部活動顧問の中学校の先生的信頼を寄せていた外科医との差が激しく、ちょっと落胆(笑)。

プーチンダックにしても、別に悪気はないわけで、「オランダ語?英語の方が良い?」と、最初オズオズと聞いてきたので、向こうは向こうで、アジア系患者にどのように対応したらいいのか面倒臭いと思っていた戸惑っていたのだろうと考えることにしました。ヒョローっと背が高い(2 m 弱)から、それで頼りなげに見えるし、なんせその上にプーチン系の小顔がのっかっているから、あまり親しみを覚えない外見というのも、彼のせいではないわけですし。。。って、大きなお世話な私。

七人の小人の先生と外科医の説明、それにインターネットで仕入れた日本語での情報のお陰で、ほとんど知っていることの確認のような診察でしたが、それでも抱いていた疑問、「この程度の腫瘍で全摘する必要があるのか」という、私個人のケースについて専門家に質問できる機会が得られたのはありがたいことです。

パポピとメールでのやりとりしていて、そんな初期の小さい腫瘍だけなのに、どうして全摘なのだろうという話になりました。どこかで読んだデータでは、甲状腺が1/5残っていれば、薬を服用せずに済むのこと。そしたらそっちの方がいいじゃないですかねえ。プーチンダックの回答は、「場所が場所(ど真ん中)だし、アメリカではこういったケースは全摘の方法で治療するので、オランダもそれに倣っている」とのこと。再発する可能性(30~40%)のリスクを考えると、全摘した方が、後の不安も少ないからベターだとも。なんかスッキリしない回答というか、もしかしたら臨床例が多い日本では、できるだけ残す方向で治療が行われるのではないのだろうかと思いましたが、こればっかりは担当医の判断に任せるしかありません。


手術前日の1月19日木曜日に、入院する病棟にて事前説明。 たまたま私と誕生日が一緒らしい Co-arts (医師助手)が担当。私が中学生ぐらいの誕生日に生まれた、そのスリナム系と思われる助手君が、小部屋に入って向かい合って座ってから、最初に言ったのが、「僕は先入観を持たないようにしようと、わざとあなたのカルテを読んでないんです。これまでの病歴とか経緯とかを説明してください」と簡単に言うので、私、プチ激怒(笑)。

「あのねー、これまでの経緯って、オランダではたいていこの病院にかかっているし、ホームドクターからの資料も必ず残っているはずです。それに、20年前の盲腸から何か何まで、今までのことは何回も説明して、全部コンピューターとその紙バサミの中に入っています。私は今回、甲状腺の治療のためにきているわけで、あやふやに覚えている病歴を、適当に思い出して話す意味が全くわからないので、それを話すつもりはないです。それは先入観でもなんでもなく、下準備ではないですか」と突っ込んでしまいました。(わー、自分でも怖いオバチャンになってます。笑)

それで引っ込んだ所を見ると、どうも彼が事前準備をしていなかったのか、何の準備もしてなかった所に、予期せずに彼が私の相手をさせられたの二つに一つの模様。でも、それは向こうの都合であって、オフィスを閉めて来ているうえに、ずいぶん待たされてる私には関係のない話。なので、いちいち「そこに書いてあるように」とかいう枕詞などをつけながら、甲状腺治療に関する経緯の説明だけを簡単にしました。(ここではイケズなオバチャン化!爆)

ここでも、いつ退院できるのかといった、思いついた簡単な疑問を訪問前にまとめておいたので、そのリストを見ながら、助手君に質問攻め。一番知りたかった「アイソトープ治療はいつになるのか」、「別な病院になるとは聞いているが、どこに問い合わせたらよいのか」というのにも、「それは僕には答えられないから、看護師に調べて回答するように指示を出しておく」という、病棟内で偉いんだか偉くないんだかよく分からない立場の助手君を象徴するような答えを一杯もらって、彼との面談は終わり。

それにしても、プーチンダックにしろ、この助手君にしろ、説得力のないお医者さんっていうのは損ですね。まあ、ちょっとオドオドしたタイプであれば、その小心さが失敗しないようにしようという心がけに繋がるとかいう風になればいいのですけれど。。。


今度は、打って変わって年齢は助手君と同じか若いぐらいなのに、経験がものを言うのか、余裕のある看護婦のおねえちゃんが、入院する部屋を見せてくれました。4人部屋の入ってすぐ右側のベッドで、退屈ゆえに、新入りに興味深々なおじいさんとおばあさんの患者さん一人ずつに挨拶しました。もう一人寝ている人がいましたが、翌朝退院したようで、おじいさんだったことしか覚えていません。

自分が寝食する予定の病室の様子を見せてくれるというこのサービス、私はとっても良いなと思いました。私はそこまでではなかったけど、手術前には不安は付き物。自分に与えられるスペース、ファシリティなどを事前に見ることで、「知らないゆえの恐れ」というのはなくなりますもん。


最後に看護婦さんから、「手術は明日だけど、手術室のスケジュールによっては、もしかしたら、今晩から入院してもらうかもしれません。今日の午後、電話で知らせるのでいいですか」と言われましたが、これって日本ではあり得る話なんでしょうか?結局、16時ごろに電話があり、手術当日、早朝にチェックイン。私よりも付いてきたオッサンの方が落ち着かないのは、私のことを心配してというよりも、病院という場所のせいに思われました。患者よりも緊張してどうする~!?

手術自体は順調に進み、前回と同じく、病室からオッサンに電話 → ピピポ姉経由の日本語メールで、パポピたちに手術終了の連絡を入れてもらいました。(今回も、全粒粉の薄切りパン2枚を、1枚はチーズ、もう一枚はハチミツで食べました。) そして、仕事を終えたオッサンが、様子を見にやってきましたが、ただでさえ病院や怪我病気が苦手なので、「傷口見たいぃ?」と言うと、激しく首を横に振っておりました。


夜中でも人がバタバタ、機械がピーピー、廊下の照明が煌々と薄いカーテン越しに目を刺すのでゆっくりできない上に、手術直後は数時間おきに血圧や首の太さを計りにくるので、おちおち寝られません。そんな中でも、とても前向きでたくましい白人のおじいさんとおばあさんと同室だったのが、とても印象的でした。第二次世界大戦中にインドネシアにいた人、もしくは面識のある家族、友人知人を失ったり、ひどい目に会った人が多い世代です。それが好ましいとか許される行為かどうかは別にして、私という日本人の個人に対して、彼らの個人としての怒りや恨みをぶちまけてもおかしくないと私は思います。でも、今まで私が会ったオランダ人高齢者は、心の中でどう思っているかは別にしても、「それはそれ」として、私という個人に対しては、あからさまな差別や侮辱や報復の意など、ネガティブな言動を示す人はいませんでした。

そのおじいさんとおばあさんについては、どうしても書かずにはいられずに、しばらく前に「アムステルダムだより」の方でも書きました。日本人オランダ人、男オンナ、年齢に関係なく、他の人に対していつでも人として真正面に立って生きていきたいと思っている私に、「うーん、凄い。ああいう風に年をとりたい」と思わせる人たち。その出会いだけでも、入院した甲斐があったと思いました。

結局2泊3日の滞在で、日曜日の午後には、オッサンのお迎えで家に戻りました。


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通勤途上で撮影した、とあるドア。深い意味はないです。


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September 10, 2012

便利だと思ったグッズ3点

急に決まった家の改装工事のため、本日は軽い筋肉痛です。自分でトンテンやったりセメントをこねたりしてるわけではないですが、その手前の作業、これまで物置として使われてきた場所に放置されていたモノモノモノを分別中なんです。そのことは、本日の「アムステルダムだより」にも書きましたが、物置とはいえ、8mx4mぐらいある場所なので、出てくる出てくる「おっ、こんなもの」。午前中も大工さんと打ち合わせ&洋服ダンスの解体作業などして出勤し、ただ今、ちょっとは放心状態から回復しましたが、さしあたって緊急にしないといけないこともなく、さあ~仕事をするぞ~という気力も湧いてこないので、そうだっ甲状腺ブログを書こう!と思った次第です。

古い記憶が蘇ったり、どうしたら良いのか判断に悩むものがあったりして、体の部位というより、普段使っていない脳ミソと神経の筋肉痛だったりして(笑)。喉頭癌で亡くなった初代相方が使っていたものなど、場所があるから捨てずに置いておいたものも、今回は捨てるか残すかをシビアに決めないといけません。子供がいない私には、まだ使えるからという理由でものを置いておくことは、あまり意味を持ちません。だって私が使わない限り、私が死んだときに処分されることになるだけだから。その時に、誰が処置してくれるのかわかりませんが、ソーシャルワーカーや専門のガラクタ引き取り業者の人の手を煩わせるのであれば、たとえ面識のない人でもできるだけ迷惑をかけないようにしたいと思えば、ずっと「どうする?」の判断がつきやすいというか、身の回りに残したい物をぐんと厳選できるようになりましたねえ。さっすが、亀の甲より年の功じゃわい。


さて、首に4 cm の切れ目が入った状態で、日本入りしましたが、日本の冬は何がつらいって、木造の戸建ては家の中が寒いっす!オランダは寒冷地だけあって、二重窓が標準で、分厚い壁にはちゃんと断熱材が入って、室内の熱を逃がしません。だから近代的な設備が整っている家なら、トイレもどの部屋もそこまでシンシンと冷えることがありません。結婚を機に日本に帰ることになった元同僚がしんみりと言ったのを思い出します。「日本の家って、お風呂のとき脱衣所が寒いから、それが悲しい。。。」

バ~バの手料理と手厚い看護の受けて、ゆっくり実家で術後の療養をするつもりが、時差ボケのために2日に1晩爆睡という不規則かつ、寒さに震えるヒキコモリ生活をしておりました。日本に行ったらああしてこうしてなんて計画はなかったのですが、「まーカサの高いヒキコモリちゃん」と妹のパポピに言われるほど、洞穴のクマ状態でした。

後から遅れてオッサンがオランダからやってきたころには、時差ぼけもマシになりましたが、室内の寒さは変わらず、年明け早々風邪を引いてダウン。2日の夜にパポピ一家もやって来ての新年恒例焼肉パーティのときも、私は床についており、うちのオッサンは言葉が通じないまま、お肉と一緒に思いっきりうちの家族に世話を焼かれておりました(笑)。術後の経過が良かったせいもありますが、甲状腺摘出手術よりも、せっかく日本に帰ってきたのにいろいろ食べられへんのんかわいそうっていうのが、とってもうちの家族らしいです。


そんな風邪をひいて朦朧としていた状態のときに、焼肉の匂いに包まれたパポピが、勧められて自分が使っていたマイクロポアというテープを持って、2階で寝ていた私のところに上がってきてくれました。これは、包帯などを固定するために使われる医療用テープのようですが、伸縮しないという特製を活かして、傷口が大きくならないように固定するために使うのだそうです。

医療ではなくどちらかと言えば美容上の利用目的かも。ただでさえじっとしていない首の皮膚ですから、どうしても引っ張られて傷口の幅が広くなるのを最小限に抑えてくれるとのことで、もともと傷が残りやすい体質だし、場所が場所だけに人目に付きやすく、テープ貼るだけでちょっとましになるのであれば、貼っておこうホトトギス。


ワタイが伝授されたテープの使用法は。。。


* 2 cm ぐらいに切ったテープを、端から少しずつ重なるように、傷口に直角に貼る。

* 3ヶ月間、1週間に1度貼り替える。


というものでした。どうして1週間に1回なのか?と訊ねたら、「さあー、そう言われただけで、なんでか知らん」と、素直に人の言うことを聞けるパポピは言っていましたが、好奇心が強くてどこがどうしてどうなってるのかを知りたい私は、なぜ1週間に1回というペースなのか、後日身を持って知ることになりました。

オランダの病院でも、何回かお医者さんや看護士さんたちにテープのことを訊ねましたが、「えー何のことぉ?」という反応だったので、下手にテープ貼ったままで診察に行って、なんか言われたら面倒臭いなあと、貼ってから2日目ぐらいに剥がしたら、傷口ではなく周辺の皮膚がピリピリと痛かったんです。しかもうっすらと赤くなっていました。1週間ごとというのはテープの粘着力の問題ではなく、皮膚がどんどこ作られていって、剥がしても痛くないぐらいになるペースだったことを実感しました。

このテープは、オランダでも薬局で注文して、バラで買うことが出来ました。1個4ユーロなり。1週間毎なので、そこまで消費せずに余りましたが、どうしても動いてしまう所に出来た傷を最小限に抑えるには良いかもです。もちろん、傷が生じないのが一番ですけど。


次に便利だと思ったグッズは、自分の経験から、パポピが私の手術のことを聞いてからすぐに注文してオランダまで送ってくれた。ポンプで空圧を調整し、その時々で高さの調節ができる優れものです。羽毛とか羊毛といった動物性のものにアレルギーを持ってる私なので、何がいいか聞かれたときに迷わずにビーズ入りのものを頼みましたが、さっすがパポピ、私の好きな緑色のカバーを選んでくれました。

幸いなこと(というか首の後ろも肉付きが良いため?)に、普段から枕無しでもテンピュールのマットレスで安定して寝ていたので、手術後も気を使って首が攣りそうになることはなかったですが、常時変わっている手術跡 ~切ったところだけでなく、首周りと負荷のかかる肩から背中~ をサポートするには最適な商品だと思いました。もちろん、シュポシュポするの楽し~。(目的が違う~!)


最後に、以前にも書きましたが、片手で開けられる小型のサーモ水筒(魔法瓶)が便利でした。車を運転しながらでも飲めるから便利、サトピがめっちゃ愛用してるということで、前年にオッサンと色違いで買ったものです。普段座った状態でなら、両手で開けるのも面倒ではないですが、傷口を庇いながらベッドから半身起き上がって温かい飲み物で喉を湿らすのに、片手で操作できるポットの方が断然便利だと思いました。


なんで~?というぐらい、変な病院にかかるリンクが今回も重なってしまった甲状腺疾患シスターズ。その時に、それでも隙あればボケをかまして労わりつつ、できることを精一杯やっていくしかないのでありました。

それに、「残念ながら、ここからラムネは飛び出しませんので悪しからず」というペッツ姉妹というネタが増えて、これは使える~と喜んでるのは、関西人の血なのでありましょうか?



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この夏撮った、アムステルダム市内の花市場の様子。毎週月曜日に立つ市場です。


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August 17, 2012

4cmの切れ目入りで来日

前回の投稿から時間が経ってしまいました。12年一緒に住んでるオッサンと、まったく新鮮味のない新婚旅行に行ってきました+その前後のバタバタで、こちらのブログ更新まで手が回らなかったのが実情です。その旅日記は、「は~るばる来たぜ北極圏!てなもんや新婚旅行記」として別ブログ「アムステルダムだより」に書いておりますので、ご興味のある方は、お時間のあるときにご覧ください(。。。というのも、長いんです。スミマセン、長文体質で)。


第一回目の手術(そのグリグリがどんなものかの確認するための、腫瘍部分の摘出)が無事に終わり、自宅に戻ってじっとしようと心がけておりました。同じ手術をしたパポピに、首に負担をかけないように生活するのがめっちゃ大変やったと聞かされていたので、8時間ごとに服用するように言われた錠剤を飲み、薬のせいで喉が渇いて目が覚める以外には、拍子抜けするぐらいの、「ムチウチのために動きが不自然な人」ぐらいの状態で過ごしました。

冬期休暇を早めていたので、自宅でほぼ完了していた日本行きの準備をしたり、普段よりも手をかけて晩ご飯の用意をしたり、暇に任せて窓拭きまでしてしまいました。。。ああ、じっとしていられない貧乏性(笑)。もしかしたら薬も飲み込めないかもしれないと、オッサンに頼んで、わざわざ座薬のパラセタモール(鎮痛剤)まで買ってきてもらってたのに、 ぜっんぜん必要がありませんでした。もしかしたら化膿止めとか、特別な作用が期待された薬かも知れないので、手術があった金曜日から、術後の経過を見るための外科訪問の水曜日まで、もらった薬は一応全部、時間がきたら服用していましたけど。


大好きなお医者さんに会えると思うと、病院に行くのも辛くないよな~とか考えながら、外科医のところに行くと、「ちゃんとくっついてるみたいだね。(縫合の代わりの)テープ、取っていいよ。自分で取る?それとも看護婦呼ぶ?」とのこと。自分ではよく見えないし、うちのオッサンは流血や傷口は一切ダメなので、看護婦さんに剥がしてもらうようにお願いしました。

この日は本当に外科手術の経過を見るだけで、摘出した腫瘍部分の細胞検査が出るまでには最低1週間はかかると聞かされていました。じゃあ、休暇から戻ってから詳しいことが分かるんだな。。。ぐらいの気持ちで、その日は病院に行ったのですが、相変わらずフットワークの軽い、偉そぶらないお医者さんが、「もしかしたら結果出てるかも知れないから、ちょっと見てくる」と、退出しました。私、ポカーンと一人、診察室に残されるの図。

普通、検査結果などは、アシスタントや看護婦が、手配、処理して、病院内ヒエラルヒーの頂点(?)であるお医者さんのもとに、恭しくもたらせられると思っていましたが、この外科医は、指折って日にちを数えて、ダメモトで、検査結果を自ら漁りに行ったのです。「おお、私よりもイラチ(関西弁で、短気な人の意)なんか、この先生~」とか思って待っていると、「Ik heb het! (あったよ!)」と書類を持って戻ってきました。後から推測するところ、この先生は、誰かの手でコンピューターに入力され、私の紙バサミファイルに入れられる前の検査結果を強引にさらってきた模様(笑)。


「検査の結果は。。。(ジッと検査結果を読んで)残念だけど、悪性だよ。そうなると、次は全摘になるっていうのは、前に説明したよね」と、私のほうを見ました。私としては、「内科医は、とっくの昔に血液検査と生体検査で悪性って言うてたがな~」と内心思ってましたが、体の大工さんである彼にしたら最後の最後まで、取り出して調べてみないと誤報である可能性は捨てきれないとでも、考えているのでしょうか。どちらにしても、あっけらかん。しんみりとしてない万年青年なので、私も随分気が楽でした。

「で、キミ、すぐに休暇に行くんだろ。今度の手術のスケジュール、1月はまだ全然予定が入ってないから、いつでもいいよ。いつにする?月曜日と金曜日が手術日だけど、いつがいい?それとも、休暇が終わってから決める?」と、真っ白な彼のポケットサイズのスケジュール帳を開いて、見せてくれました。

1月の第1週にオランダに戻って、溜まってる仕事、および私が病欠中の手配やらなんやらするのに1週間は必要。。。ということで、2回目の甲状腺全摘手術のスケジュールは1月20日に決定。自分で調べて知っていたけれど、全摘手術の5-6週間後に、今度は設備の関係で、アムステルダム内の別な病院にてアイソトープ治療をするという説明も受けました。そして、微量とはいえ服用した放射性ヨードの2次被爆を防ぐために、一定期間、他人との接触が制限されることも。。。

「あのー、今回の発癌がきっかけで、もしものときに面倒臭いからウチの彼と結婚することにしたんですけど、それが3月12日なんです。結婚式までに、一連の治療、終わりますか?」と聞いたら、外科の先生は例のポケット手帳を繰りながら、「あ、それはおめでとう。で、20日に手術するだろー、5週間後にアイソトープ治療して、そのあと2週間は人との接触が制限されるとして。。。うんっ、なんとか間に合うと思うよ」という返事。


もし何かあったら。。。と心配しても仕方がないと思うのは、私が暢気なのか、スケジュールに対する認識がオランダナイズされてしまったのか。そのどちらの影響も強いと思いますが、もし、何らかの事情で手術が延期になったり、その後の経過が思わしくない場合、じゃあ、別なことを先にして、というのが無理な治療なので、全体の予定がずれ込みます。そんな事態が発生したら、その時はその時。心配したり、責任問題をなんちゃらいってる問題ではなく、フレキシブルに、その時点でとれる最善の選択をすればいいことです。最悪の場合は結婚式の延期ですが、それは市役所にキャンセルか延期を申し出たら済む話ですもん。(あ、もちろん、最悪の最悪、手術後に麻酔から目が醒めないとか、日本行きの飛行機が落ちるとか、意地汚く食べ過ぎて絶命するとかいう可能性はありますが、そういうのはこの際無視して。。。)

最後に、「処方されてる薬がまだあるんですけど、元々薬が嫌いであまり飲みたくないんです。飲まなくてもいいのであれば止めたいんですけど」と言ったら、「鎮痛剤だけだから、必要なかったら飲まなくても良いよ」という返事。な~んや、そうなんや~と、その日から服用をストップしました。どうも手術後にしんどかった原因のほとんどは、切った貼ったではなく、麻酔に始まって各種薬の副作用のような気がしてたんです。元来痛みに強いのもあるけれど、どうも鎮痛剤を飲んでも、体の調子がおかしい野生児な私。

「出来たらセンセーに取ってもらいたいんですけど」などと言えるわけもなく、「今、看護婦呼ぶから、テープ取ってもらって。じゃあ、また来年。良い休暇を」と言って手を差し出した外科医と握手して、本日および本年の診察終了。手術跡、4cmの傷口に直角に、隙間なく並べて貼られた5mm 幅のゴワゴワした縫合代わりのテープが、看護婦さんの手で剥がされました。ちゃんとくっついてるけどデコボコ。傷の端っこがまだ凝血してるし、カラーのフランケンシュタイン映画のようでした。傷口にバイキンが入らないようにだと思いますが、しばらくはガーゼを当てておくように言われました。言われなくても、首に巻いたスカーフが引っかかったり、襟がささったりしたら嫌だからガーゼするつもりでいたし、なんせそれよりも、人目に触れたら、みんなギョッとするような我が首。もちろんオッサンは、「ほらほら、こんなんになってるで~」と見せびらかしても、ギューっと目を瞑って絶対に見ようとはしませんでした(笑)。


それまでは、首の辺りがテープでゴワゴワして、急に振り向いたり、上向いたりがしにくかったけれど、今度はテープがないので、モロに傷口が引っ張られてしまいます。ただでさえじっとしていない私なので、なんかの拍子にパカッと傷口が開くことが心配でしたが、そういう事態に陥ることもなく、日本へと旅立ちました。

予想していたよりも術後の回復が早かったので、首に2重のスカーフを巻きつけたムチウチ患者のような不自然な動きで、フランクフルト乗り換えで、関空に到着しました。アムステルダムの空港までは、オッサンに送ってもらい、関空から神戸まではリムジンバスで、そこから明石まではジジの車での移動。馬鹿力なもので、20kg ぐらいのスーツケースなら、首に負担をかけずに腕の力だけで持ち運べるデカ女であることを感謝しながら、乗換え等も含めて1日がかりで来日を果たしました。

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(文字ばっかりでは味気ないということなので。。。アムステルダムの運河に浮かぶ、白鳥の親子連れ。水面に、アムステルダムの街並みが映っているのがわかるかな。)




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July 11, 2012

目覚めたら大部屋

前回の更新から、間が空いてしまいました。もう一つのブログ、アムステルダムだよりのほうで書いているように、毎日ドタバタやっているのでご心配なく。ホルモン剤の副作用に苦しむこともなく、あまり以前と変わらぬ生活をしております。変化があったとすれば、もうちょっと頑張ればできることを、意識的に止めることにした。。。ということでしょうか。なので、このブログもゆっくりと、書けるタイミングで、書きたいことをアップしていくことにしました。

そして、本日、このブログにお役立ちリンク第一号を貼り付けさせていただきました。神戸でがんばる社長さん、永峰麻紀さんがされてる「おみまい便」です。このおみまい便サイトにも、看病のプロでもある麻紀さんが書かれた、ためになる読み物がいろいろありますが、彼女のブログ「病気とともにある人生に Happy を!」も、ぜひお読みください。病気に勝つ、負けるはないと思います。生命体である限り、いつかは消える命です。もうアカン、だめだと思って、すべてを諦めてしまった状態が、負けたことになるのではないかなと思います。お医者さんや周りの人が、もうダメだとか、可哀相とか思っても、怪我や病気でベッドに縛り付けられても、自分が自分らしく生きようとしている間は、自分の人生を生きているのだと考えます。それよりも、死んでないだけの人が、この世の中になんと多いことか。。。だから私はアムステルダムから、ブログを発信し続けているのでありました。


さて、これまでにも、全身麻酔の経験があるので、それ自体はビビッておらず、逆に、麻酔が醒めかけときに変な夢を見たりするので、今度は何かな~とちょっと期待してたりして(笑)。今回は、別にこれといって変な夢を見ることもなく、英語そのまんまで Recovery (リカバリー)とも呼ばれる、Uitslaapkamer (覚醒室。Uitslapen は、十分に睡眠を取るの意)で目が覚めました。どんなところかというと、ベッドが大人サイズの新生児室というか、野戦病院というか、何部屋分もぶち抜いた大きな部屋にベッドが並んでいるところであります。病室から手術室まで運ばれたゴマ付きの自分のベッドの上で、なんとなく目が覚めていきます。麻酔や鎮痛剤のお陰で痛みも無く現実に引き戻されましたが、相変わらずド近眼のままには変わりはありません。壁にかかっているらしき時計も時間までは判読できないし、麻酔の名残りではなく、視線が定まらずに挙動不審な私。心配していた声の変調もなく、看護婦さんに「目が悪くて、あなたがどちらに向いているのかも分からないのよ~」と言ってびっくりされたりしながら、熱や脈拍、血圧などを測られ、病室に戻れるようになるまでを過ごすわけです。

隣の患者さんとも、一応カーテンで仕切られてはいますが、あっちこっちで計器がピーピー、ゴボゴボいってたり、他の患者さんが呻いていたりしています。それが観察できるようぐらいになったら麻酔も切れたということなので、他人が気になり始めたぐらいで、さっさと自分の病室に戻されます。だから、この部屋は出入りも激しく、ワサワサした感じがしましたよ。


自分の部屋(といっても数時間前に初めて通されたとこですけど)にベッドごと戻され、担当の看護婦さんに言われたのが、「絶食してずっと胃の中にモノが入ってないので、気分が悪くなることがあります。何か食べないといけませんが、何が良いですか?」。何がって、何があるのんと思って聞いたら、Boterham (薄切りパン)か Beschuit (オランダのラスク)から選べるらしい。そんなん要らんわ~って思っても、ここはオランダですので、お粥とか出てきません。なのでパンをお願いしたら、白いパンか全粒粉かと聞かれ、それからジャム、ハム、チーズのどれが良い?バターは要る?という、これまたオランダ人の典型的な朝食とランチみたいな献立の選択を迫られました。なので、紅茶と全粒粉の薄切りパン、透けるように薄く切った個別包装のチーズといういかにもオランダの病院食っていう感じのものを、ベッドのリクライニングを起こして、もそもそとちょっとずつ食べました。オランダで手術や入院する人にここでアドバイスです。自分の生年月日とともに、もともと選択肢は少ないとはいえ、パンかラスク、付け合せるものは何にするか、あらかじめ心の準備をしておいた方がいいと思います。なんせ麻酔がちょっと残ってるので、自分ではちゃんと喋っているつもりでも、頭と口がよくまわっていなかったりします(笑)。


「おお、ちゃんとごはんが食べられるやん!(パンやけど)」などと、パンをもそもそ飲み込みつつ自分の頭の中で突っ込みながら、心配している(はずの)オッサンに電話をかけました。自分用のベッドの横にキャビネットがあり、そこに患者用の固定電話があるのです。市内だけなのか、国内は大丈夫なのか分かりませんが、患者がお迎えの人を呼んだりできるように、無料で使うことができます。「手術終わったで~。まだ生きてるで~」というだけでなく、ピピポ姉のオフィスにも電話連絡を入れるように、オッサンにお願いしました。

日本とは時差だけでなく、うちの家族とオッサンには言葉の壁もあります。身振り手振りと愛嬌だけでは、電話での伝達は無理(笑)。なので、手術をすることを伝えていた妹のパポピと、何人か日本人に向けて、手術が済んだというメッセージをメールで入れてもらうよう、ピピポ姉に事前に お願いしていたのです。「手術をするのは医者なので、遠くにいても近くにいても何もできないのは一緒やん」と思う私は冷血な例外のようで、どうもみなさん心配されてたらしく、この手術終了のメッセージは、「やっぱり気になってたから、メールもらってほっとした」、「ありがたかった」とのことです。電子翻訳飛脚になってもらったピピポ姉に、またしても感謝。


熱もないことだし、自分で着替えたりお手洗いにも行けるので、予定通りその日のうちに家に帰ることになりました。ところが、帰り道に何かがあったら困るので、一人では帰らせてもらえません。オッサンが終業時間きっかりに来ることになっていたのですが、なんかでずれ込んだようで、18時半ぐらいになっても現れません。一人で帰ると言っても許されず、結局私のために残業させることになってしまった、着替え終わった看護婦さんと一緒に、ロビーまで歩いていったところで、やっとうちのオッサンが現れ、彼の運転する車で家に戻りました。お迎えが来ないと帰れないって、ちょっと託児所の子供の気分でした。


帰宅後は、麻酔で眠っていたせいもあり、昼夜がよくわからなくなっていた感じだけれど、早めに就寝することにしました。結構ケロッとしていたのですが、手術したてホヤホヤの病人ですから、一応(?)大事を取ってみました。一応って。。。



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June 23, 2012

グリグリ摘出手術<その1>

「医は仁術」であるならば、患者は「忍術」をうまく使いこなせれば楽になります。火遁(かとん)、水遁(すいとん)の術とか、マキビシが扱える方ではなく、うまく自分の忍耐を扱う術です。お医者さんとアポを取るだけでなく、病院や検査機関に行っても、予約時間通りになるのは稀で、順番がまわってくるまで待たされます。しかも、(表面的には)一生懸命しているようにセカセカと動いてくれる日本人ではないので、そういう待遇が当然だと思っている人なら、オランダの病院で勤務している人たちが、とっても暢気に見えてイライラすることでしょう。(大きな声では言えませんが、日本人に限らず、「待たされてる間に死んだらどうする!」とヒステリックに叫ぶ人ほど、たいてい大したことないんですけどね。)

もちろん、健康上の不安があれば気も滅入りますが、治療関係でも結構落ち着いていろんなことを受け止められたのは、甲状腺乳頭癌の進行は遅いとされていることを知っていたこととともに、私には逆の立場から見ようとする思考のクセがついているからかも知れません。 お医者さんも、看護師さんも、どこかの実験室みたいなとこで私の血液や腫瘍を検査をしてくれた人たちも、みんな私のために一生懸命してくれてると思えたら、不要なイライラを撒き散らして、自分と周りを余計に不幸な状態にすることもなくなります。自分がどうして欲しいのかと伝えることと、自分が思うように扱ってもらえない不満を相手にぶつけることは、全く違うことですもん。

もし、異国で治療を受けられることがあれば、通訳できる人が必要でも必要でなくとも、自分が何を必要であるかをしっかりと見極め、症状と具体的な要望を、簡潔に医療従事者に伝えよう、と意識して考えてくださいね。「こちらの気持ちになって考えてくれない」というのは、日本人の錯覚であり甘えです。あなたがどう考えているのか、感じているのかなんて、他人にはまったく想像もつかないのですから、自分の意志は自分で表現していかないといけません。。。ここまで書いて、これは対オランダ人だけに言えることだはないことだなあと思いました。何となく「分かってるつもり」が多いけれど、問題が表面化した時に「分かってくれない」ではなく、「自分は理解してもらえるようにしたのか?」という考え方をすること。そうすれば、解決まで行きつくのが早くなりますよ。


さて、病院に持って行くものを揃える以外にも、
他にも手術前の準備がありました。PPO(ペーペーオー)という何それ?と言いたくなるような名前の部署に行くことです。PPO というのは、 de polikliniek pre-operatief onderzoek の略で、日本語にすれば「事前調査をする医科」といったところ。私がかかったところでは、このように独立した科がありますが、他の病院では麻酔科でするようで、いわば「麻酔が必要な手術、治療」の事前調査です。

まず、名前や生年月日に始まり、これまでの病歴、手術歴、アレルギーの有無、遺伝の可能性がある家族の病歴などから、飲酒、喫煙の習慣、体で動かしにくいところがあるかなどなどの、たくさんの項目が連なった問診票に記入させられます。残念ながら、問診票をコピーしていなかったので、どのようなものがあったかすべて覚えていませんが、両親の出身国まで記入するところがあったのが、さすが人種の坩堝アムステルダムだと思いました。個体差だけでなく、やはり人種によって明らかに突出した身体的特徴や傾向はあります。それを知ることで未然に防げるリスクがあるのであれば、利用しない手はないですもの。

受け付けでその用紙を提出した後、個室に案内されて、体重、血圧、心拍数を計測します。。。あ、ここで一つ、大事なことを思い出しました。オランダで医療機関にかかったら何億回も言わされる覚悟をしておいた方が良いのが「生年月日」です。何かの計測なり採血でもしようとすると、「XXさん、あなたの生年月日は?」と尋ねられます。この名前と生年月日を確認するという手順を踏むことによって、単純なミスが大事に繋がる
医療事故を防ぐというのは、大変シンプルかつ効果的な方法です。ただ、言われる方はまたか〜と思うし、病院でもないところで Mevrouw (メフラウ。女性への尊称)+苗字で話しかけられると、思わず生年月日を答えそうになって苦笑するという副作用はありますが(笑)。オランダでは、年月日(ねんがっぴ)はちょうど日本とは逆さまで、日月年(にちげつねん)となります。英語も問題なく通じるオランダでも、生年月日はオランダ語で言えるようになっていると、病院などではスムーズに事が運ぶことでしょう。。。


計測が済んだら机に向かい合った形で座って、「どのような手術をするのか知っていますか」、「手術前8時間に入ったら一切の食事は禁止で、2時間前から飲み物もダメです」などといった説明をしたあと、それまですっかりお医者さんだと思っていた人が「それでは Anesthesist (麻酔医)が来るまでお待ちください」と部屋を出て行きました。今のは誰やってん?と思ったら、アシスタントさんでした。この医科に何十年とかいうベテラン専任スタッフもいるので、明らかに医者の方が貫禄がない場合もあって、よく見ないと違いに気がつかないユニフォームだと、パッと見には区別がつかなかったりします(笑)。

 麻酔医の説明と言っても、私の病歴はすでにコンピュータに記録してあり、花粉症程度で何かに猛烈に反応するアレルギーもなく、普段から頭痛薬すら飲んでいないので、「これまでに、手術の麻酔とかで、問題はなかったんですね」で、簡単に済んでしまいました。(このときに、コンピューター画面がちらっと見えて、私の腫瘍の大きさが 1,6 x 0,9 mm というのが読めました。こんな小さな塊が、私の太い首の中に埋まってて、よく気がついたものです。位置が違っていたら、発見も遅かったのではと思いました。)

最後に小さな麻酔に関するパンフレットの「何時間前から絶食する」という私に関する項目と、何かあったら問い合わせが出来る電話番号というところに、目の前でマーカーで印をつけて、渡されました。
その場では思い浮かばないけど、後から聞いておけばよかったというような疑問に対応するためなんでしょうね。家に戻ってから読んだら、確かに当たり前なことばかりだけど、考えもしなかった「麻酔後にもし痛みがあった場合」とか、知っておけば何かあった時に慌てずに済みますものね。


脂肪という名の備蓄が十分あるゆえに、数日ぐらい食べなくても生命への支障はないとはいえ、普段から「食に対するパッションが高い」と食い意地が張ってることを表現している私です。ときどきやってる朝ご飯抜いたのと同じなのに、食べられないと思ったら余計に食べたくなるのが絶食(笑)。しかも、手術の前日も仕事で遅くなり、夜の10時過ぎに帰宅して、大急ぎで料理。絶食開始の直前に夕食を食べ終えました。。。病院は、こういう形の絶食を意図していたのではあるまい、とか思いつつ。

手術後に病院まで迎えにきてくれるとのことだったので、病院が(怖くて)嫌いなために、私よりも今回の手術にビビっているオッサンに「ほな、後でね〜!」と手を振って、余裕をもって徒歩で病院に向かいました。歩いたら1時間弱かかる距離ですが、体力作りも兼ねて、疲れすぎない程度にできるだけ歩くようにしていましたから。もともと、アムステルダムを散歩するのが好きというのもありますが、それに手術後は、一時的とはいえ寝たきりに近い状態になりますからね。ただでさえ硬い体へのささやかな抵抗です。


病院に到着し、デイケア部と直訳できる afdeling dagbehandeling という部署を探して、今日手術をする予定のものですと申告したら、(私の場合は男女混合の4人部屋の)自分のベッドに案内されました。
ベッド脇には、食事をする時には天板を引き出してテーブルにする、ゴマ付きのキャビネットがありました。そして、「これに着替えてください」と、渡された患者用の手術着は、ペラッペラの生地で出来た空手着を思わせるズボンと、前後と体側がスナップで開けられるようになっている幼稚園児のスモックのようなブカッとした上着のセット。私の手術は首なので、上半身は裸で、下半身は下着を付けたままで着用して良いとのことでした。(裸だから、スナップの金属が当たるとチメタイよ〜!)

着替えは男女に分かれたロッカールームのようなところで行い、その中にあるロッカーに靴と着替えを入れるようになっています。ここで上履きスリッパが活躍するわけですね。


ベッドに戻ったら、看護師さんが最終チェックにやってきました。また、名前と生年月日から始まって、手術内容の確認、アレルギーの有無など、彼女の持っている資料に間違いがないかを一通り、患者と一緒にチェックします。そして、何かあったときに連絡する人の名前と電話番号を申告。(私はうちのオッサンだけでなく、事前に了承をとって、ピピポ姉の名前とオフィスの電話番号を答えました。)

麻酔を効きやすくするためか、鎮痛剤のような薬を一錠投与され、耳栓をして横になって本を読んでいるうちに、それまでの疲れが出たのか眠ってしまっていました。「手術ですよ」と起こされてお手洗いに行き、コンタクトレンズを外した時点で、ド近眼の私は、寝ぼけてるのも手伝って、すでに幽玄の世界に突入。ベッドを押して手術室まで運んでくれる看護師さんに「心配ですか?大丈夫ですか?」と聞かれても、「大丈夫です。眠たいから、早く麻酔かけて欲しいです」とかワケの分からないことを答えながら、寝転んだままいくつも角を曲がって、近視故にはっきりと区別のつかない壁や天井を眺めておりました。

手術室では、何人もの緑色の医療従事者用の手術着を来た人が、モニターを見たり雑談しながら、いろんな機械類をいじくっていました。目が悪いから、男女の区別も声でしかつかないぐらいで、せっかく手術室に入ったのに、どんな機械かさえ判別できなかったのは残念!(え?ここは残念がるポイントではないですか。。。)


手術台の上に仰向けになり、左の手の甲に点滴の針を固定され、恐怖心ではなく睡魔のために早くして〜!と思っていたところ、私の大好きな外科医登場(というか、コンタクトレンズがないから、「ハロー、だいじょぶー?」と声をかけられるまで、それまで執刀医の彼がその場にいることを知らなかった。とほほ)。それでもついに、手術が始まるのか(やったー、寝られる!)と思ったら、ハスキーボイスなオバちゃんが呼ばれて飛び出てジャジャジャジャ〜ン、紅白の大トリみたいに、みんなお待ちかね状態で部屋に入ってきました。

「誰やねん、このオバちゃん」とほとんど使い物にならない目で彼女を見上げると、「私はXXと言います。あなたは、なんのために手術しますか?」と質問されました。「はあ?ここに居る人らは、もしかしたら、何の手術するか知らんと居てるのん?」と2秒ほど質問の意図が掴めずにいたら、どうやらこのオバちゃんは、手術がちゃんと遂行されるかどうかを管理する立場にある人なのだなと理解できました。医療ミスを防ぐために、数千回(爆)生年月日を言わされたりというチェックがいくつもありましたが、手術の直前に、本人とスタッフに、今から行われる手術の内容に、本当に間違いがないかの念押しのチェックだったわけです。

今回は、名前と生年月日をオバちゃんが読み上げ、それに間違いはないですねと聞かれ、何の手術をするのかを患者(私)の口から言わせるという形の質疑応答の確認でした。まあ、間違ってなかったので、まさしく形式だけの確認なんですが、もしどこかで患者やカルテが入れ替わってたら。。。と考えたら、本当に怖いですよね。

無事に確認が済むと、部屋に居た人たちが一斉に息を吐く気配を感じました。チェックが滞りなく終わった安心感と、さあ、始まるぞという緊張感がミックスされた呼気でしょうか。それまでがシーンとしていたゆえに、急に慌ただしくなった感じの手術室の真ん中で、麻酔のマスクを口にあてがわれ、左腕から薬物が注入されていることを感じながら、オバちゃんがハスキーボイスでカウントするオランダ語の1、2、3ぐらいで、
私は意識がなくなりました。

<その2に続きます>
長文体質ですみませんです。。。

 
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woneninams at 17:23|PermalinkComments(0)TrackBack(0)このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Clip to Evernote