患者ケイコの心境

October 18, 2012

グリグリに気がついて1年経ちました。

なかなかブログ更新できないまま、10月5日に2回目のアイソトープ治療を済ませてきました。

しんどいのはしんどかったんですが、かといって日常生活は普通に続けていました。(バタバタと騒がしいワタイの日常は、平日日刊「アムステルダムだより」でお伝えしています。お暇つぶし読み物としてどうぞw。) 

隔離のために入院していた2泊3日以外、ずっとフルタイム以上で働いていたので、ホルモンの枯渇、ヨード制限、放射性物質投与と、振り返ると結構なダメージが体にあったのだなあと考えるようになるのは、そういう日々が続いた後、毎日徐々に復活しつつあるのが体感できる今になってからです。本当に、アホほど頑丈で暢気に出来ている私やなあと(ヒトゴトのように)思いますです。


昨年の今日、焼きサンマのお弁当を食べて、喉にグリグリがあるのに気付きました。その時は、理由が分からないために、不審で不安でありましたが、ジェットコースターに乗ったような一連の治療、そのついでの結婚、もしものときの対策についてのオッサンとの話し合いなど、いろいろなことがあってのあっという間の一年でした。

甲状腺乳頭癌になったこと、甲状腺とその機能を失くしたは不幸なことですが、早期発見できたこと、医療関係者、研究者のみなさんとホルモン剤のお陰で普通の生活が継続できることは、本当の幸福なことであり、やはり私はラッキーだと思うというのが、グリグリ発見から1年経った私の感想です。


それを書きたかった、2012年10月18日の私です。


unga

新緑と、運河に浮かぶハウスボート。


追伸: 闘病中でも、闘病中でない人も、はたまた妊娠&授乳中のお友達でも、頑張ってる人を応援したいときは、おみまい便三角ビーズクッションか、イルカの抱き枕のプレゼントをお勧めします。しっかり休養することと、アナタが応援してくれている気持ちが、何よりの「栄養」になりますから!


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May 19, 2012

検査結果は悪性なり

別ブログ「アムステルダムだより」のノリで、「甲状腺癌確定の巻き〜!」などとタイトルを付けそうになってハッとしました。明るいことを書けば書くほど「無理している」、しんどくないと言えば「やせ我慢している」と思い込んで、私を可哀相な人にしたい人が多いみたいなのですけど、残念ながら、毎日バタバタと忙しく、楽しく生活しています。

実際に、毎朝寝ぼけたままホルモン剤を飲み込むのと、首の手術跡以外には、以前の生活とほぼ変わらず、周りにいる人も私が癌患者などということをすっかり忘れております。昨日も、風邪気味のオッサンにアロマオイルでマッサージをしておりました。ふと思い出して、
「なんで癌患者にマッサージさせるかなあ!」と文句を言っても、オッサンは都合の悪いことは聞こえない振り。。。本人が忘れているので、周りもそんなもんです。


さて、2011年11月23日の朝、前回おこなった Punctie (プンクチー。太めの注射器で細胞を摂取)後の細胞検査の結果を聞きに行きました。そうです、運河沿いの病院まで、七人の小人のおじいさん内科医の診察です。

検査の結果は、それまでのお医者さんの反応で、なんかそうちゃうかと思っていた通りの悪性でした。もちろんダメ押し感はありましたが、先週の検査の後に、甲状腺手術の先輩でもあるパポピに「甲状腺だけで死ぬ人は滅多におらん」とか、いろいろと情報を仕入れていたので、もとからギリギリの人数でやってる仕事のこととか、いろいろ手配しないといけないなあ、わーどうしようというのが先に立ちました。これまで腸閉塞と交通事故で2度死にかけ、次に何かあったら3度目の正直かと思っていましたが、今回はこれまでのような大ピーンチ!という突発事項ではないので、「部屋めっちゃくちゃやわ。片付けんとマズイ!」というのは思い浮かびませんでした(笑)。最近は、友人の収納アドバイザー 吉中直美さんのブログを読んで、
何かあっても困らないようにしようと思ってます。。。はい、思ってるだけで、なかなか実行できてませんが。。。


血液検査によるとホルモン値には異常がないようですが、私の甲状腺に出来ていたグリグリは悪性。前回の細胞採取という検査法も、よく考えれば癌細胞のど真ん中に大当たり!になるまで針を突き刺すわけにもいきませんから、
実際の進行状態を調べるためにも、まず第一段階として、今あるグリグリを取り除く手術をすることになりました。

その手術の結果によって、全摘になるか、そのまま様子を見るかなど、その後の治療方針も変わってくるとのこと。七人の小人のお医者さんが、サラサラサラと読みにくい手術依頼書を書き、「これで私の診察は終わりです。私の
アシスタントのところに行って、外科医とのアポを取ってもらってください。手術が終わったら、今度は私ではなくて xxxxx のドクターになりますので、彼とのアポも、今日、アシスタントが手配してくれます。それでは、気を落とさずに、お大事に」と握手をして、斜め向かいにあるアシスタントの部屋まで連れて行かれました。


アシスタントのおばちゃんは、七人の小人の先生に負けず劣らずというぐらいにやさしくて思いやりのある「良い人〜!」というのが滲み出ているタイプの人。それまでの会話からも、すっごい良い人だなあと思ってはいましたが、私が部屋に入った瞬間に、
癌宣告のことを暗に含んだ口調で「びっくりしたでしょう。大丈夫?」と、やさしく椅子を勧められました。

「え、何それ。なんであなたが知ってるのん?」と、一瞬ドキッとしましたが、よく考えたら彼女がカルテ等を用意したり、アポを取ったりするので、患者の状況を知っていて不思議なことではありません。それよりも、彼女にいたわられて初めて、私がいたわられるような状況にあるのだということを実感しました。それまでは、「わあ、癌やてぇ。大変やな。面倒くさいなあ。えらいことになってしもたな」という感情がほとんどで、この時に「私ってもしかして可哀相なん?いたわられるような立場になったん?」と改めて思ったのです。

そして、彼女が別な場所にある外科に電話をかけて、12月14日に最初のアポを取ってから、「先生に、これで良いか聞いて来るわね」と、部屋を出て行きました。帰ってきて一言「これでは遅過ぎるから、もっと早くだって」。。。え、遅過ぎるって、何なん????? ドキッ!

再度、外科にかけ直して、今度は1週間後の11月30日に、外科医とのアポが取れました。やろうと思ったら出来るやん!などと、普段から待たされて待たされて待たされて、その間に治るか死ぬかのどっちかだという冗談にされるオランダの医療機関に突っ込んでいる場合ではありません。オランダ、ユトレヒトの病院で乳癌の手術を受けた後、治療をしながらも東北大震災の支援グループを立ち上げて活躍されている尚子さんのブログにも書いてありますが、大したことがない人は待たされる裏には、緊急度の高い人の治療が優先されるという、オランダの効率主義が見られます。。。ということは、私、落ち着いてる場合ではないってこと!?


徐々に、えらいこっちゃなあという気分にはなってきましたが、インターネットやパポピの情報のお陰で、甲状腺癌は進行が遅く、今日明日に命がどうこうなるわけではないというのは分かっていたので、その足で出勤しました。出先からオフィスに戻ってきたオッサンに、「どうやった?」と聞かれたときも、その場に他の人もいたこともあり、「あとで説明する」と言って、結局家に帰ってから話しました。
人生を長くやってると、たいていのことは経験してきたというのが年の功でもあるけれど、ショックはショックだろうから、仕事中に話すのは止めておこうと思ったのです。オッサンにしたら、落ち着いて「あとで説明する」と言うぐらいだから大丈夫だったんだろうと思ってたらしく、動揺してない私に逆に度肝を抜いたようですが、出来たグリグリは出来てしまったもの、しゃあないもんはしゃあないですもんね。取り乱してない本人を前にして、ショックを受けたというより困った顔のオッサンになっておりました。


癌宣告されてだ
いぶ経って、この癌宣告の日の夜ベッドに入ってから1回、そのあとオッサンと話をしている時に2回、合計3回しか泣いてないなあと数えたことがあります。その3回とも、ワタシとっても可哀相とか、絶望にひしがれて。。。というわけではなく、日本にいる両親や、アンネフランクよりも8歳年上(!)という1920年生まれの最初の相方のお義母さんが聞いたらとってもショックを受けるだろうこと、これで死んだらもうオッサンやパポピの役に立てなくてごめんねえと思ったら、どうしてもこらえきれずに涙が出てきました。

最初の相方を亡くした時に、泣いても泣いても涙は涸れないことと同時に、後に残された人がどれだけしてあげられなかったことを悔やむのかを経験しました。だから、私が先に逝くことによってどれだけの人の心を傷つけるのかと思うと、申し訳なくて仕方がなかったのです。この時の経験が、
後悔しないように生きようという言動になっているのだろうし、ブログや日々の言葉で、私の周り人たちに、毎日楽しく生きてるから、私が死ぬ時にはあなたが悔やむことはないよということを伝えたいのかも知れません。そしてそれが、私に東北大震災の被災者支援、オランダからチューリップを送る活動をする気にもさせたのだろうとも思います。


七人の小人の先生が説明したときには聞き取れずに、外科手術のあとに私がかかることになるドクターの名前と一緒に書いてある単語を後で調べたら、 Endocrihinoloog (内分泌学医)とのこと。Endocrinologie (エンドクリノロヒー。内分泌学)なんて単語、今まで18年の間にオランダで、見たことも聞いたこともなかったですが、よく考えると日本語でも何をするお医者さんなのかがよく分からないことが判明。世の中には知らないことがたくさんあるものだと妙に関心した私でありました。


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May 10, 2012

七人の小人の内科の先生

さてさて、前回の記事から少し間があいてしまいましたが、体調の方は相変わらず元気な一般人ぐらいのパワーでしょうか。疲れすぎないように注意しているぐらいで、普通に仕事をしてますし、元気なものです。2度目の手術から4ヶ月近く経って、たまに傷口がカユ~イのが気になるところ。オッサンには、「傷口が痒くなるのは治りかけてるからって言うよ」と喜ばれましたが、無意識に掻きむしらないようにしないと。。。という緊張感を密かに楽しんでおります。


ホームドクターから、私の診療は病院の内科医にバトンタッチされました。アポを取った11月16日の午前中、運河沿いの病院に向かうと、担当したのは思慮深くて優しそうなおじいさん先生でした。優しそうというのは人当たりだけでなく、患者さんのことを親身になって考えてくれてる、というのが話していて伝わってくるようなお医者さん。この日のショッキングな宣告とは別に、人間として素晴らしい徳を持ったお医者さんに巡りあえたことに嬉しくなったぐらいです。(でも、私の頭の中で彼の姿は思いっきり「白雪姫と七人の小人」の白ヒゲの小人先生、ドックとして変換されているので、実は今、彼の顔を思い出せなかったりします。笑)


エコー撮影の際に、エコー技師の口から初めて甲状腺という単語を聞いてから、いろいろとインターネットで調べておいたので、初対面のお医者さんがオランダ語で言っていることもよく理解できました。。。と、いうより、予備知識がなかったら、日本語でもちんぷんかんぷんなところが多かったかも。それぐらい今まで縁のない話でしたから。

この七人の小人のお医者さんは机の反対側に座って、「これまでの血液検査やエコーの結果、甲状腺乳頭癌(こうじょうせんにゅうとうがん。 papillaire schildklierkanker )の疑いが大変強いです」と静かな口調で検査結果を伝えました。

ここで映画やドラマなら、癌宣告された患者が泣き崩れたり、二段構えのクローズアップがくるところでしょうが、下調べでの予備知識があったことや、もともとフテブテしい。。。いえ肝の据わってる性格のためか、「はあ、そうですか」という落ち着いた反応となりました。びっくりはしたけれど人生で一番大きなショックでもなかったし、「そうか~、そうなんか。それはしゃあないなあ。。。ぐらいで、なんでそんな感想しか思い浮かばんねん自分。可愛げないなあ」とか頭の中で一人ボケ突っ込みしておりました。でも、そんなことは他人には分かりません。お医者さんにしてみたら、私がオランダ語を理解してないために反応がないと理解したのか、もっとゆっくり説明しようとし始めました。お医者さんには、「大丈夫です。話は理解できてます」と答えて、最初の彼を喉頭癌で亡くしたこと、それ以来、いかにして生きるかを意識してきたから、発癌で自分の人生が終わったと悲観していないことを話しました。

誰でもいつかは死にます。そして、死んでないだけで生きていない人が、残念ながら世の中には多いのです。そういう人に出会うたびに、とっても残念に思いながらも、私はいつピリオドを打たれても後悔だけはしないように生きたいと思い、実践してきました。誰になんと言われようと思われようと、私がしたいことをしているのは、「亡くなった彼にああしてあげれば良かった」という後悔を、自分だけでなく、周りの人にも繰り返してほしくないからです。正直なところ、少しホッともしました。もうゴールが見えかけたから、やみくもに突き進む必要はないんだと、肩の力が抜けたような感じでしょうか。


七人の小人の先生は、もしこのグリグリが悪性だった場合、これからどんな治療が行われるかの大まかな流れを、最後まで私という患者を中心に見据えて、静かに説明をしてくれました。そして、本当にその通りにはなったんですが、この時の説明内容と、先生がもたらした「任せてもいいのだ」という安心感は、本当にそれ以降の治療にたいする不安を取り除く効果があったと思います。

診療後は、アシスタントのところで次回の内科のアポを取り、その足で、同じ病院の別な部署に向かいました。病院は同じでも、そこは市内の別な場所にあるので、内科でもらった検査依頼書を持ってトレム(路面電車)で移動。

大きな病院の案内表示を見ながら、探検しながらエレベーターで着いた先は病理学科( Pathlogie 。Pathloog  とか病理学とか、今まで聞いたことはあるけど、このブログを書くにあたって初めて何をするところかが知った次第。。。)


病理学科の受付で Punctie 検査の依頼書を見せると、しばらくお待ちくださいと、半分廊下みたいな部屋の椅子に座って待つように言われました。仕事中で連絡のつかなかったオッサンに、とりあえず経過を SMS で入れとこうと携帯電話をいじくっていると、私の名前が呼ばれました。

この Punctie (プンクチー)というオランダ語が、日本語の医療用語でなんというのかよく分かりませんが、要するに太目の針を突き刺して、検査対象となる細胞をちょびっと採取するというもの。日本の狭いビジネスホテルのシングルルームのような細長い部屋に案内されました。私を案内した小柄な看護婦のお姉さんと二人で居ても狭いのに、なんと後から入ってきた病理学士のニイちゃんは、177 cm の私でも見上げるような大男。一気にシングルルームが、押入れぐらいの大きさとなりました(笑)。

依頼書にある名前を見て「日本人?」と聞いてきた病理学士のニイちゃんは、私を診療ベッドに寝転ぶように指示しながら、学生時代に友達と二人で日本に行ったことがあるんだと嬉しそうに話してくれました。こんなデカイ金髪の若い衆は、日本でさぞかし目立ったであろうなあと想像しながら「日本国内の移動は JR パスを使ったの?」とたずねたら、「お金がなかったから、シベリア鉄道を使って日本まで行って、日本国内はヒッチハイクした」とのこと。「ええ~!ようアンタ、怖がられへんかってんねえ。それにちゃんと車の中には納まったん?」というのをぐっと堪えて、喉もとの甲状腺がある辺りを、左右1回ずつ針で刺されました。検査結果は内科医に送られるということで、ここでは注射跡に脱脂綿を貼られてお終い。この雲つくようなニイちゃんに「治療頑張ってね」と声援されて、少し遅れて出勤しました。


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April 22, 2012

再度ホームドクター訪問

前回の採血から2日後の10月26日に、通勤途中にちょっと迂回する形で、これまた運河沿いの病院まで、エコーを撮ってもらいにいきました。この病院には、定期的というか忘れた頃に思い出したように行く子宮筋腫の検診でお世話になっています。私は患者としてすでに登録されているので、エコー技師のお兄ちゃん先生がコンピューターのキーボードを叩くと、ホームドクターから依頼された検査内容が出てきた模様。未だにオールドファッションな「紙挟み」状のカルテも併用されているとはいえ、いろんなところが IT 化されていることにびっくり。

私のホームドクターは、この病院と提携(?)している外部の組織ですが、病院内では、それぞれの権限の範囲内で、医療関係者が患者の病歴などを即座にコンピューターで見られるようになっているのです。ファイルごとカルテ本体を入手する時間と手続き、患者によっては相当分厚いカルテの中の欲しい情報を探す手間を考えたら、ものすごい合理化ですよね。「医者が書いたような」というのが、オランダで悪筆や難解な文字を書く人を形容する言い回しになっているぐらいですから、解読する時間も節約できるかも(笑)。


このお兄ちゃん技師が、ざざっとコンピューターの画面を読んで、「甲状腺のところにしこりがあるようですね。見てみましょう」と言いました。このときに初めて、 Schildklier(甲状腺)という単語が使われました。甲状腺って。。。パポピと一緒やん!と思い、いろいろ疑問がわきましたが、このエコー技師のお兄ちゃんはエコーで体の中身を調べるのが仕事で、各疾病に関する細かい質問をしても分からないと言われるのがオチ。おとなしく診察台に寝転んで、のどの辺りのエコー撮影をしてもらい、またまた徒歩で出勤しました。


前回の訪問からちょうど1週間経った11月2日の水曜日、血液検査とエコーの結果を聞きに、ホームドクターを再び訪問しました。

ホームドクター氏は、いつも通りに待合室まで私を呼びにきて、にこやかにハローと握手。一緒に6歩ぐらいで着く診察室まで歩いて、机を挟んで向かい合わせに座りました。


「さて、血液検査とかの結果が来てるはずだね。。。」と、私からは見えない位置の画面を読みながら、甲状腺に小さな腫瘍が出来ていることが、エコーで確認できたと告げました。こんなに小さいのによく分かったね、と。

そして「ホームドクターズガイド」とかいうアンチョコかどうか分かりませんが、辞典のようなものを少し調べてから、「えっと、そのグリグリがなんであるか、わからないことにはどうしようもないですからね」と言って、その辺をバタバタひっくり返して探し物をしはじめました。

何をするわけでも無いので、バタバタしてる先生をじっと見ていたら、「うーん、最近、この手の手続きをしてないから、うーん、どこに連絡すればいいのかとかが、すぐにわからない。えーと、そのへんをちゃんと調べてから、あとで電話で連絡しても良いかな?」とのこと。え?

「良いかな?も何も、どうするか決めるのは先生ではないの?????」と思いながら、「
この人、ホンマに真面目でかわいーわぁ」などと、そこまで事態を深刻に受け止めていませんでした。エラソウぶらない真面目な人が、分からないことにぶつかってオドオドしたら、逆に患者が不安になってしまうではないの〜ぐらいにしか考えませんでしたが、この時の検査結果では、すでに甲状腺乳頭癌の疑いが浮かんでいた模様。なんて能天気なんでしょう私。。。というか、その時は私の検査結果が先生をオドオドさせていたとは、まったく考えてもみませんでした。


午後一番ぐらいで
私の携帯に、「ちゃんと調べたよ〜」というホームドクターからの電話がありました。採血などした運河沿いにある病院の、内科のアシスタントに電話をかけて、予約を入れるようにとのこと。020から始まるアムステルダムの市外局番がついた電話番号をもらいました。

病歴の保存のため、どういう治療がなされたかの報告はホームドクターのもとに送られるようになっていますが、治療に関しては、この時点で患者はホームドクターから専門医にバトンタッチされます。私の場合は、ホームドクターが診断かつ判断して、病院の
内科( Interne geneeskunde 
)に送られたわけです。こうなったら、もうホームドクターに連絡をとることはありません。治療だけでなく、心配なことがあったら直接かかりつけの病院の各科に、電話で問い合わせたり、診察の予約を入れることが出来るのです。


ホームドクターにもらった番号に電話をかけたら、11月16日に内科で予約が取れました。その日まで、普通に日常生活を送りながら、日本語とオランダ語で甲状腺腫瘍について、インターネットで情報を収集しておりました。今更ながら、インターネットは怖いぐらい便利ですね。自宅にいながら情報収集が出来るのは素晴らしいのですが、知らなければ知らないで済むような病気の存在まで知ってしまうのは、むやみに不安になる原因かも
(特に夜中!)。それは危ない、アブナイ!

なので、病状を調べるためのインターネットの利用法は、「最悪の場合を想定するため」ではなく、「医者の言うことがよく理解できるように」情報収集することに気持ちを集中させるのが大事だなあと思いました。だって、不安になっても現状が改善するわけでもないどころか、病は気から。具合が悪くなっても困りますからね〜。


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April 09, 2012

早期発見は、焼きサンマ弁当のおかげ!

2011年10月18日火曜日のこと。オランダ語でのヘルプが必要ということで、知り合いの日本人女性に付き添ってアムステルダムの郊外におりました。その用事の合い間に彼女が、その近くといえば近くにある鮮魚店に行ったことがないというので、「それでは行くしかないでしょ~!」と、オランダで唯一、日本人のご夫妻が経営されているお魚屋さんに立ち寄りました。

和食が定着したといえば聞こえがよくても、事実は怪しげな寿司もどきが横行しているオランダです。でも、そのホントの魚屋さんには、ホンモノのお寿司やお刺身だけでなく、オランダのスーパーにはない新鮮な魚介類や和食材、大将自家製のお惣菜などがあって、大変「目の毒」なお店でもあります(笑)。


多分に漏れず、初めてそのお魚屋さんを訪れた在外生活の長い知り合いが、長らくお目にかかってない品々に欣喜雀躍している横で、私は大将と世間話をしておりました。そして、カウンターにあった日替わり弁当をふと見たら、なんと「焼きサンマ弁当」ではありませんか! 日本にいらっしゃる方には、タダのお弁当かもしれませんが、一般ルートでサンマが市販されていないオランダに住んでいる日本人にしてみたら、「じゅうじゅういってる焼きたてのサンマ」というコトバだけで白いご飯が一膳は食べられるぐらいですから、「焼きサンマ弁当」の実物を目にするというのは、雷に打たれたような衝撃です。即、購入。


そして用事も済んで、お弁当を大事に抱えてオフィスに戻ってきました。私の代わりに店番をしていたうちのオッサンが出て行き、待ちに待ったお弁当タイムの始まりです。ここでもゆっくりと味わいたいところですが、それは営業中の身。朝と昼はサンドイッチのみで、冷たくなった食事を食べるという概念を理解できないオランダ人の来客がいつくるか分からないので、そこまで時間をかけられません。

「サンマ~、サンマ~、お久しぶり~、サ・ン・マ~」と口に出さずともそれぐらい興奮しながら、誰も入ってこないことを祈りつつ、外から見えないオッサンのデスクで、数年ぶりの焼きサンマを食べ始めました。おいしさに感動しながら、調子に乗って大き目の白いご飯の塊を飲み込んだときのことです。感じたことのない違和感というか、なんか引っかかるような気がしました。

あれ、おかしいなあと思って、違和感のあった喉元に手をやると、なんかグリグリがあります。厚い脂肪に包まれているせいもあって、見た目には変わったところはありません。それでも触るとグリグリという形容がぴったりな塊りが感じられました。グリグリを指で押してみたら、痛くはないけどなんか普通ではない感じ。。。オランダ語でいう gevoelig というのが、私にはぴったりきた感じです。Gevoelig は、英語にすると Sensitive 、日本語に訳すと「感じやすい」とか「敏感な」みたいな単語ですが、例えばズキズキとかジンジンとか刺すようなはっきりした痛覚はないけれど、普段は忘れてる治りかけの擦り傷に何かが触れた時のようなというか、不意に噛んでから思い出す一昨日の歯の治療の名残りの疼きというか、そこまではっきりと認識できない程度の普通ではない感じでした。


戻ってきたオッサンにグリグリを触らせても、「なんかあると言えばあるけど、医者に行けば?」という予想通りの反応。だって彼は医者でもなければ、普段から人体になんて興味がないタイプ。突然「ここにグリグリあるみたい」と言われてもねえ(笑)。


と、いうことで、たまたま別件(2011年4月の原付事故の後遺症。左肩の痛み)でホームドクターの予約を取っていたので、焼きサンマ弁当の日から6日後の10月24日に、ついでという感じで「ここにグリグリがあるんですけど」と言ったのが、一連の治療の始まりでありました。


他人の目から見れば、甲状腺癌になったのは不運、不幸、可哀相なことなのかも知れません。でも、普段は行かない日に魚屋さんに行って、たまたま「焼きサンマ弁当」の日でなければお弁当の冷めたご飯の塊りをオフィスで飲み込むこともなかっただろうし、交通事故の件がなければわざわざホームドクターに行かなくて、ゆっくりとはいえ確実に腫瘍は進行していただろうから、私ってなんてラッキーなんだろうと思います。「関係ないっすよ」と大将に笑われそうですが、おいしいだけでなく早期発見のきっかけになった「焼きさんま弁当」をあの日に作ってくれたお魚屋さんにも感謝感激です!

能天気と言われようが、幸せな思考回路と呼ばれようが、ちょっとぐらいのことでは滅多に医者にも行かず、普段からナイフとフォークで小さく切ってから口に運ぶ食生活をしている私にしてみれば、これらの偶然が早期発見に繋がったとしか考えられず、ありがたいなあと思ってしまうわけであります。


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